朝日が差し込む、駿河療養所へと続く林道。患者たちは約2キロの道のりを歩いて登った=静岡県御殿場市で2026年6月30日午前6時46分、吉田航太撮影 「絵はふるさと 描いているときも 描いていない時も 絵の心に助けられました」 昨年12月に82歳で亡くなった元ハンセン病患者の加藤博子さんは、一度だけ開いた個展の案内はがきにこう記した。病に翻弄(ほんろう)された加藤さんは、絵に救われた人生だった。 1955年4月25日、静岡県御殿場市の国立ハンセン病療養所「駿河療養所」に入所した。その日のことが文芸作品集「ふれあい文芸 平成30年版」にある。 「若かった父と、十二歳の子供の私は、この山道を、ひたすら歩いてきた。父は子供の私が靴ずれをしたのをスリッパに履き替えさせて、どんな思いでこの山を登ったのだろうか」(原文) 人里離れた山の上にある駿河療養所へは約2キロの林道が続く。加藤さんは何度もこの道を描いている。 43年に愛知県で生まれ、12歳で療養所にひとりで入所した。多くの人が入所前は半年で帰れると言われるが、入所すると3年と言われた。 しかし、生活するうちに「家のために帰らない方がよい」そういう考えが浸透していくのだった。 加藤さんは暮らす少女舎の窓の向こうにある納骨堂を見て祖母の亡くなった年を思い出した。「まだ六十年もここで生きるのかと、絶句しつつ泣いた。子供心にこのような社会の仕組みを、許せないと思った」と随筆にある。 「私は『人間だ、人間だ』と思って、一生懸命に…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。