「わたしの知らない子どもたち」Ⓒ2026 K2 Pictures・AOI Pro. 韓国で、高畑勲監督のアニメーション「火垂るの墓」に寄せられた観客の感想を読み、怒りで手が震えたことがある。 「日本はこういう映画を作る前に、まずやるべきことを忘れている」という非難と、「被害国が製作した映画だったら満点に近い評価をつけただろう」という主張だった。Advertisement しかもある韓国人の映画評論家は、こうした反応について「わからなくもない」と語った。私はそれを機にその評論家との連絡を絶った。 子どもと女性は、戦争における普遍的な被害者である。「火垂るの墓」が描いているのは「国家の無罪」ではなく、戦争のなかで命を失っていく2人の子どもの悲劇だ。清太と節子が日本人であるという事実が、彼らの苦しみを見つめる私たちのまなざしまで変えなければならない理由にはならない。 それにもかかわらず、作品の評価をどこの国が作ったかという条件に従属させた瞬間、映画が見つめているはずの「人間」は後景へと追いやられる。それならば、私たちのいう「人類愛」とはいったい何なのだろうか。 西川美和監督の「わたしの知らない子どもたち」は、この問いをあらためて思い起こさせる映画である。「炎628」「ブリキの太鼓」 1945年の敗戦後、日本の街に取り残された戦災孤児たちを描きながら、彼らの苦しみを国家の免罪符にすることも、歴史的責任を代わりに背負わせることもしない。 西川監督が目を向けるのは、戦争の被害者という枠組みだけでは捉えきれない、子どもたち一人一人の人生だ。彼らは純粋で無力な犠牲者でも、大人たちの過ちを代わりに背負うべき存在でもない。それぞれに判断し、行動し、生き延びようとした人間なのである。「わたしの知らない子どもたち」Ⓒ2026 K2 Pictures・AOI Pro. 戦争映画において、子どもたちはしばしば大人たちの狂気を映し出す象徴、あるいは観客の涙を誘う悲劇の主人公として描かれてきた。 エレム・クリモフ監督の「炎628」(1985年)では、ナチス・ドイツの占領下で凄惨(せいさん)な暴力を目撃する少年フリョーラの顔が、戦争の惨禍を刻み込んだ記録へと変わっていく。 フォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」(79年)では、成長を拒むオスカルがナチズムへと傾斜するドイツ社会と大人たちの偽善を映し出す奇怪な鏡となる。 いずれもヨーロッパの戦争映画史における重要な成果だが、子どもの身体と存在に歴史の狂気や作家の思想を投影している点で、私には疑問も残る。表現の強烈さが、必ずしも一人の人間に対する理解の深さと一致するわけではないからだ。 その対極には、子どもたちの苦難を前面に押し出すメロドラマがある。子どもは善良で純粋であるほどよく、苦しみは過酷であるほど感動的になる。戦争を舞台にした「おしん」の特別編といっても差し支えないような物語だ。そこでも子どもの個性や判断は、悲劇的な運命を際立たせるために必要な範囲でしか認められない。靴墨まで口にする琴子 西川監督はこの二つの道をともに避けている。戦争の残酷さを誇示することも、哀れな子どもたちを前面に出して観客を泣かせることもせず、子どもたちが何を見て、何を学び、どのように判断し、行動するのかに関心を注ぐ。 12歳の少女、茅野琴子(小八重葵美)は、音楽家である父親の願いとは裏腹に、軍国少女として育った。しかし、自ら志願して赴いた疎開先でドビュッシーの曲を演奏したという理由から髪をつかまれ、非国民とののしられたことで、それまで気付いていなかった「現実」に直面する。信じてきた規範の矛盾を初めて経験する瞬間だ。 敗戦とともに家族と家を失った琴子は、駅でサツマイモを食べようとしたところ、荷物もサツマイモも奪われてしまう。ついには飢えのあまり靴墨まで口にしようとする。大人たちから教えられた道徳も知識も、生存には何の役にも立たないのである。女を隠すために髪を切る こうした現実を受け入れていく過程で一つの頂点となるのが、琴子が自ら髪を切る場面だ。一緒に靴磨きをしていた少女が、食べ物を得るために身体を売る姿を目にし、女であることを隠そうと決意する。 自分の性別そのものが生存を脅かす状況から逃れるため、姿を変えるという選択。与えられた条件のなかで生き延びようとする、琴子自身の判断である。 やがて浮浪児の一団に加わった琴子は、新聞で見た吉田茂の名前を借りて「茂男」となる。国家の最高権力者と、国家から何の保護も受けられない戦災孤児が、1枚の新聞を介して結びつく場面に、監督の機知が光る。「わたしの知らない子どもたち」Ⓒ2026 K2 Pictures・AOI Pro. 新聞という媒体が持つ意味も興味深い。茂男となった琴子にとって、新聞は生活の糧となり、後には思いがけず離れ離れになった友人の運命を知らせる媒体にもなる。絶体絶命の危機から逃れようとする子どもたちの提案を受け入れる大人もまた、新聞記者である。 戦争によって破壊された文明や制度を描きながらも、その内部に残された知性と人間的な可能性まで否定することはない。新聞という媒体の両義性を通してそれを示す「わたしの知らない子どもたち」の物語には、繊細な弁証法的思考が息づいている。音楽がつなぐ過去と現在 文明と人間的な価値への信頼は、音楽にも見いだされる。琴子と兄の律朗(桜井海音)にとって、音楽は苦しい現実を生き抜くための力となるが、その意味は大きく異なる。 戦争の惨禍による精神的な衝撃から薬物中毒となって帰ってきた律朗にとって、音楽は崖っぷちで絞り出す、悲しくも美しい叫びである。 一方、琴子にとっての音楽は、隠していただけで決して失われてはいなかった自分自身を取り戻すきっかけとなる。さらには、ともに街をさまよっていた子どもたちが夢見る救済、すなわち、いつの日か親が自分を迎えに来てくれるという願いとは、まったく異なる形の出口を開いてくれる。 目で確かめた世界が生存の現実を教えたのなら、耳で聴き身体で覚えていた音楽は、失われた過去と現在をつなぐのである。将吉の成熟と悲劇 物語が進むにつれて琴子の最も親しい友人となっていく将吉(羽山由一郎)は、この映画で最も成熟した、そして最も悲劇的な人物だ。 燃え盛る家から、ひどいやけどを負い死にひんした父親を背負って運び出した彼は、闇市を支配する菊沢(岡田准一)の命令で、友人の小山(小林丞之介)が同じ朝鮮人たちの事務所を襲撃しなければならなくなると、一種の自殺行為にも等しいその役目を代わりに引き受ける。 琴子が初潮を迎え、女の子であるという「正体」が露見しそうになったときも、黙ってその場を切り抜けられるよう助けたのは彼だった。 自分を守ってくれる大人さえいない世界で、むしろほかの子どもたちを守ろうとする少年。しかし、生き延びるために悪ぶる仮面をかぶらなければならなかった彼の悲しみは、琴子との別れ際にまくり上げた腕の入れ墨にそのまま刻み込まれている。 2人の子どもの運命を分けるのは、人格や勇気の度合いではなく、それぞれが置かれた社会的条件である。琴子には父親が残した世界と、父親を覚えている人々がいる。 しかし、将吉には帰る場所がない。最後に彼が琴子に告げる「生きていて」という言葉は、自らの未来を約束することのできない少年が友人に託す切実な願いだ。 映画は将吉のその後を描かない。誰よりも人間らしい子どもが、人間らしく生きる機会を得られず、どこへ消えていったのかさえわからない。そのことを思い知らされた瞬間、私は目頭が熱くなった。曽根に向けられる痛烈な問い 教師の曽根文美子(二階堂ふみ)の変化も、「わたしの知らない子どもたち」を構成する重要な軸の一つである。「わたしの知らない子どもたち」©2026 K2 Pictures・AOI Pro. 戦時中、子どもたちに軍国主義を教えていた曽根は、敗戦によって信じていた世界と社会的地位を失う。ダンサー募集の広告を見て訪ねた先で売春を求められ、自分は教師だと抗議するが、相手の女性はむしろ彼女の世間知らずな態度を嘲笑する。 戦前の身分が自分を守ってくれないばかりか、もはや自分が何者であるかを説明するものにすらならないと知る瞬間だ。 そんな曽根を、琴子は、戦争中に子どもたちに教えたことは正しかったのか、今でも同じことを教えるのかと問い詰める。その追及は、かつて大人たちの教えを疑いもせず受け入れていた子どもから発せられるだけに、いっそう痛烈である。学校で習った方程式を暗唱する友人に「何それ? そんなの本当に役に立つの?」と問い返した場面とも重なる。 こうして現実から切り離された教育の意味を、子どもたちの人生を通して問い直すところに、西川監督の戦災孤児映画は新たな深みを獲得する。 しかし、西川監督は曽根を単なる加害者として断罪しない。曽根もまた、戦争と敗戦によって人生を崩された人間である。子どもに教えていた大人が、逆に子どもから学び、子どもは大人の教えを疑うことで、自ら判断する人間へと成長していく。 将吉の示す責任感まで考えれば、年齢や社会的地位が人間の成熟を保証するものではないことがいっそう鮮明になる。歴史からこぼれ落ちた存在 西川監督がこの映画を構想するきっかけとなったのは、前作「すばらしき世界」の原作である佐木隆三の「身分帳」だった。戦後の日本に12万人にも及ぶ戦災孤児がいたこと、そして彼らの人生について自分がいかに知らなかったかに気づいたという。 戦争は終わっても、子どもたちの人生は続いていた。彼らがどこから来て、どのように生き、どこへ消えていったのかを覚えている人はほとんどいない。「わたしの知らない子どもたち」Ⓒ2026 K2 Pictures・AOI Pro. 西川監督がつけた「わたしの知らない子どもたち」という題名には、歴史の記録からこぼれ落ちた存在への問いと、彼らを知らなかった自分自身への省察が込められている。 生き延びるためにウソをつき、ときには大人たちよりも冷静に判断し、他人を守ることはできても自分の未来は守れなかった子どもたち。彼らを善良でかわいそうな戦災孤児という言葉だけで語ることはできない。一人一人が自らの意志と判断、矛盾と尊厳を持つ人間だったからだ。見ようとしてこなかったもの そしてここで、映画の題名が再び私たちに向けられる。「わたしの知らない子どもたち」。 私たちはその子どもたちの名前も、顔も、どんな人間だったのかも知らない。あるいは、知ろうともしなかったのかもしれない。戦争の加害と被害を論じ、国家の責任を問うあいだにも、子どもたちの人生は私たちの関心の外に置かれていた。 西川監督は、彼らに代わって歴史を証言しようとはしない。ただ、私たちが知らずに通り過ぎてきた人間たちを、目の前に連れてくる。そのとき初めて、この題名の「わたし」が監督一人だけを指すのではないことに気づかされる。 思い切り泣いてみたい、あるいは殺伐とした今日の日常ではめったに味わえない、胸に深く迫る感情を経験したい。そんな思いで映画館へ足を運ぶことは正当であり、十分に納得のいく選択だ。 しかしそこにとどまらず、「それ以上の何か」が加わる映画体験を求めるのなら、ぜひ、この作品を上映している近くの映画館へ足を運んでほしい。(洪相鉉)