iPS細胞20周年記念シンポジウムで講演する山中伸弥さん=京都市左京区の京都大で2026年10月17日午後2時3分、太田裕之撮影 山中伸弥教授らの研究グループによる人工多能性幹細胞(iPS細胞)の論文発表から20周年の記念シンポジウムが17日、京都大(京都市左京区)で開催された。山中教授と当初からのスタッフらがユーモアや苦労話も交えながらこれまでの歩みを振り返り、今後の展望や抱負を語った。 山中教授が設立し理事長を務める公益財団法人京都大iPS細胞研究財団(iPS財団)と、京都大iPS細胞研究所(CiRA、サイラ)などが一般向けに主催し、約370人が来場した。iPS細胞、患者に届く時代へ iPS細胞は山中教授らが特定した4種類の遺伝子を分化後の細胞に入れることにより、分化前の受精卵と同じ状態に初期化される形で作られ、あらゆる組織や臓器への分化能力と高い増殖能力を持つ。山中教授らは2006年にマウス、07年にヒトの皮膚細胞からの樹立を報告する論文を発表。山中教授は12年のノーベル生理学・医学賞を受賞した。 冒頭のあいさつで山中教授は「皆さんの力を借りながら走り続けてきた20年。ようやく患者さんに少しずつ届くところまで来た」と振り返り、「当時40代だった私も60代になり、来年は前期高齢者の仲間入り。iPS細胞を含む医療技術を進展させて健康寿命を1日でも伸ばすことに貢献したい」と述べた。 講演では「実際にiPS細胞を作ったのは私ではなく、研究室の若いメンバーたちだった」と話し、高橋和利さん、一阪(いちさか)朋子さん、中川誠人さん、沖田圭介さんの名を挙げた。4人は山中教授が奈良先端科学技術大学院大の助教授だったころからのメンバーで、山中教授が04年に京都大に移った際も帯同した。再生医療支える細胞ストック CiRAは京大が08年に設置した「iPS細胞研究センター」を格上げする形で10年に開設。iPS細胞の医療応用を目指すことが使命だ。その一つが患者に移植し、失われていた機能を取り戻す再生医療。患者本人からiPS細胞を作るのは時間と費用がかかるため、拒絶反応の起きにくい免疫型の人の血液からあらかじめ作って備蓄し、再生医療に使う際に提供する「iPS細胞ストック事業」を展開してきた。 山中教授は「15年から提供を開始し、現在は4種類の免疫型で日本人の40%、約5000万人に拒絶反応の少ないiPS細胞を提供できる状況になった」と話し、国内で15種類以上の臨床試験に結実していると成果を挙げた。3月には心筋細胞シート「リハート」とパーキンソン病治療の再生医療製品「アムシェプリ」の製造販売を国が条件・期限付きながら承認。「世界で初めて公的保険を使ったiPS細胞の治療が始まった」と山中教授は意義を語った。「研究用の100倍大変だった」 一方、臨床用の作成については「研究用より10倍大変だと覚悟して取りかかったが、実際は100倍だった」と打ち明けた。「研究用は1人の研究員が数カ月かけてできるが、臨床用は100人が手分けして数年間の失敗を重ね、ようやくできた」という。 また、この100人のうち95人が有期雇用だったため、正規職員としての受け皿にもなるiPS財団を一般財団法人として19年に設立。20年に公益財団法人に認定された。 山中教授は「最適の臨床用iPS細胞を良心的な価格で研究者に提供するのが財団の最大の使命」と話し、「研究所は基礎研究で0から1を生み出し、財団は1を10くらいにして、企業が100、1000、1万にして患者に届ける。アカデミア、財団、産業界の三つが揃って初めて日本発の技術が患者に届く」と強調した。支えた4人との20年 最後にフリーアナウンサーの有働由美子さんの司会で山中教授と、現在はiPS財団細胞調製施設製造部長の一阪さん、CiRA講師の中川さん、CiRA動物実験施設長の沖田さんがトークを披露した。 山中教授は高橋さんも含めた4人に「(奈良から京都に)ついて来てくれなければiPS細胞はできていなかった」と感謝を重ね、「一生の運を全部使い果たした」と話した。 一阪さんはマウスの管理と移植実験を担当。高橋さんが実験で60点程度のiPS細胞を作り、中川さんと沖谷さんが100点の完成度に高めたと山中教授は評した。 奈良から京都へ、さらに京大内での研究拠点の引っ越しは山中教授が中川さんに「丸投げ」した。実験で使う何十種類ものマウスは生きたまま移動できないため、一阪さんが受精卵の状態にして凍結し、液体窒素で運んでから解凍して再びマウスに育てた。中川さんは「大変だったが、それがなければ研究は進んでいなかった、無駄ではなかったと思える」と話した。「VIVANT」並みの情報管理…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事