国家安全保障戦略に関する提言を高市早苗首相(右)に手渡す日本維新の会の前原誠司安全保障調査会長=首相官邸で2026年6月24日午後4時41分、平田明浩撮影 広島、長崎への原爆投下を経験した日本が戦後、「国是」としてきた非核三原則が揺らいでいます。核兵器を「持たず、作らず、持ち込ませず」とした原則ですが、高市早苗首相は「持ち込ませず」の見直しが持論で、政府が年末に予定する安全保障関連3文書の改定で焦点の一つになっています。どのような経緯で国是となり、なぜ今、見直し論が出ているのでしょうか。 Q 最近、「非核三原則」という言葉をよく聞くけど。 A 2025年10月に高市氏が首相に就任したことがきっかけです。高市氏は24年の自民党総裁選に立候補した際、非核三原則の「持ち込ませず」について「米国の拡大抑止のもとにあるのであればしっかりと議論しなければならない」と語っていました。就任後は持論を封印していますが、小泉進次郎防衛相は核兵器について「あらゆる政策をタブーなく議論しなければいけない」などと発言しています。政府は26年末に国の安保政策の方向性を定めた安保関連3文書を改定する予定で、非核三原則が堅持されるか注目されています。1971年に「国是」に Q そもそも非核三原則はいつからあるの? A 1967年12月に当時の佐藤栄作首相が衆院予算委員会で「核は保有しない、核は製造もしない、核を持ち込まない」と表明しました。71年11月に衆院本会議で政府に非核三原則の順守を求める決議がされ、「国是」(国の基本方針)となりました。 Q 「持ち込ませず」ってどういうこと? A 日本にある米軍基地への配備や、核兵器を積んだ艦艇の一時寄港、日本の領海通過を認めないということです。 Q なぜ佐藤氏は非核三原則を表明したの? A 「三原則」というまとまった形ではありませんが、実は50年代から「持たず」や「持ち込ませず」といった方針については時の政権が表明していました。例えば、鳩山一郎政権の重光葵外相は55年6月の国会で、駐日米国大使との会談の結果、「(米国は)日本の承諾なくして原爆は持ち込まない」ことを確認したと答弁しています。 こうした方針の背景には45年の原爆投下で甚大な被害を受けたことに加え、54年の米国の水爆実験で第五福竜丸の乗組員らが被ばくする事件が起き、反核の世論が広がったことがありました。 佐藤氏が67年に非核三原則を表明したのは、米国と交渉を進めようとしていた「沖縄返還」に絡んでのことでした。沖縄は戦後、米国の統治下に置かれ、67年ごろには米国とソ連の冷戦の激化に伴い、大量の核兵器が配備されていました(後に約1300発あった…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事