毎日新聞 2026/9/8 14:15(最終更新 9/8 14:15) 608文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷金の濃度にばらつきがあることが判明した金鯱のうろこの一部=名古屋城調査研究センター提供 財政難に陥った尾張藩は金鯱(きんしゃち)の鱗(うろこ)をはいで、小判にした――。名古屋城のシンボル「金鯱」を巡り、こんな俗説が広がっていたが真相は異なることが名古屋城調査研究センター(名古屋市中区)などの調査で判明した。【菊池真由】 名古屋城は17世紀に築城され、1930年に城郭では初の国宝に指定された。天守閣は徳川家康の支配力や尾張徳川家の権威を誇示するため、金色に装飾した鯱が載せられた。雄と雌で、45年の空襲で雄が全焼し雌の鱗だけが残った。その後、59年の天守閣再建に合わせて復元された。Advertisement 金鯱を巡っては1959年発行の名古屋城史に「江戸中期に至って藩の財政が窮迫した際これを取りおろし、金鯱を鋳直(いなお)して、藩用に供した」との記載がある。これが俗説の基になったとみられる。名古屋城のシンボル「金鯱」=名古屋市で センターは真相を確かめるため、2022年度から国立科学博物館と高エネルギー加速器研究機構との共同研究を進めてきた。 焼け残った鱗を蛍光エックス線で分析したところ、金の濃度は52~89%でばらつきがあった。鱗から金を捻出するためには、一気に改鋳する必要がある。このため、「修理目的で取り外したと考えられる」と結論づけた。江戸時代の小判にも見られ、薬剤を使って金色を鮮やかに見せる「色づけ」の技法が用いられていたことも分かったという。 国立博物館の沓名貴彦科学技術史グループ長は「金鯱の実像が分かったことは大きな成果だ」と話した。あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>