半島の現場から:ソウルと台北の「二つの総督府」 対照的な運命の根にあるもの

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半島の現場から毎日新聞 2026/9/13 07:00(最終更新 9/13 07:00) 有料記事 2377文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷台北の旧台湾総督府は総統府として現在も使われている(左)。一方、ソウルの旧朝鮮総督府は解体され、その残骸は独立記念館の敷地内にある(右)=いずれも福岡静哉撮影 日本は戦前、植民地にした朝鮮半島と台湾に「総督府」を置き、統治の中枢機関とした。いずれも近代建築の粋を集めた建物だった。 戦後、ソウルの旧総督府は解体されたが、台北では頼清徳総統が執務する総統府として今も使われる。「二つの総督府」はなぜ、対照的な運命をたどったのか。 朝鮮総督府は約100年前の1926年10月1日、今のソウルに完成した。解体後、その残骸は韓国西部・天安(チョンアン)市の独立記念館に移された。バロック式の建物の象徴だった尖塔(せんとう)は地中に半ば埋められ、周囲に柱の一部などが無造作に置かれている。 残骸は敷地の西側にあり、そばの案内板にこんな解説が記されている。「残骸を粗末に扱う方法で展示した。太陽が沈む西側に配置することで、日本帝国主義の没落と植民地の残滓(ざんし)の清算を強調した」。植民地支配への民族の怒りが伝わってくる。 朝鮮総督府は、朝鮮王朝の王宮「景福宮」の正面を塞ぐ形で敷地内に建てられ、人々の自尊心を深く傷つけた。日本の敗戦後の48年、朝鮮半島の南側に李承晩(イ・スンマン)が、北側に金日成(キム・イルソン)が国家を打ち立て、南北は分断される。「民族の精気を取り戻す」と解体 旧総督府は韓国政府庁舎に使われた。一部で植民地支配の象徴は破壊すべきだとの意見もあったが、見送られた。歴史学者の鄭在貞(チョン・ジェジョン)ソウル市立大名誉教授(74)は「当時は貧しく技術もなく、建物の活用が現実的だった」と指摘する。その後、別の政府庁舎が建設され、旧総督府は86年に国立中央博物館となった。 韓国は、…この記事は有料記事です。残り1709文字(全文2377文字)【前の記事】韓国大統領、死後も分かれる明暗 埋葬できぬままの人も関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>