私のライフシフトストーリー 太田敦子毎日新聞 2026/9/12 11:00(最終更新 9/12 11:00) 有料記事 2846文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ドイツの大手総合化学メーカー「BASF」の日本法人副社長を務め、退職後の現在は中小企業支援などに携わる瀬畑一茂さん=長野県松本市で2026年7月6日午後3時49分、太田敦子撮影 アドレナリンとドーパミンに操られるような日々は突如終わった。 「一体何をやっているんだろう」 我に返ってしまったらもう戻れない。 外資系企業で20年以上走り続けた瀬畑一茂さん(55)は満身創痍(そうい)で会社を離れ、地方で中小零細企業を支援する人生の第2章を始めた。 しかし8年がたち、すっかり落ち着いたはずの心がぞわぞわし始めた。 その理由に気づいた時、第3章に踏み出す決意を固めたという。 50代半ばでなぜ、2度目の転身を図ろうとしているのか。 <主な内容> ・劣等生から日本人トップに ・「ミニブルドーザー」と呼ばれたが… ・長野に移住、中小企業支援にやりがい ・移住8年で襲ったトラウマ ・人生の「第3章」へ劣等生から日本人トップに 「(慢性胃炎が疑われ)胃がつるつるだとか胆のうにポリープが14個あるとか。健康診断や人間ドックは30代半ばから常に要再検査、要精密検査でした」 ドイツに本社を置く大手総合化学メーカー「BASF」の日本法人で副社長を務めていた瀬畑さんはそう振り返る。 新卒で入社後、持ち前の負けず嫌いから先輩の言うことを聞かず、得意先を減らして1億2000万円の損失を出した。 始末書を提出し辞職するつもりだったが、少しは取り戻してからと奮起したところ、今度は10億円以上売り上げを増やした。 規格外の行動に日本法人からは「ダメな人」のレッテルを貼られたが、本社の目に留まり、その後ドイツ、香港で働いた。 34歳で日本に戻り、その後、国内石油大手との合弁会社社長に就く。 本社から課せられたミッションは20年赤字続きの会社を3年で黒字化することで、ダメなら会社をたたんでこいと命じられた。 着任の歓迎会の席、合弁相手の役員からは「君がどこで何をしてきたか知らんけど、ここは日本だ。乾杯」と先制を食らった。 日本の企業社会では「小僧」だった。 それでも黒字化のミッションを完遂し、37歳で本社から日本法人副社長に抜てきされた。 日本人トップの地位だった。「ミニブルドーザー」と呼ばれたが… 若くして上り詰めた時の心境を聞くと、瀬畑さんは苦笑いした。 「アドレナリンとドーパミンが出まくっていて、気が休まるヒマもへったくれもない。常に頭の中がブンブン音を立てて回っている感覚です」 部下にはどんな時間でも報告を上げるよう求め、指示を出した。 四六時中、トップとしての判断を迫られた。 そんな生活が8年続いたある夜、奥歯に異音と突然の激痛が走った。 歯医者でX線検査をしても原因はわからなかった。 やむなく抜いて銀のプレートの上に置き、器具で軽くポンとたたいたらパカッと二つに割れた。 歯ぎしりなどで奥歯が割れるケースではX線でギザギザの断面が確認できるが、瀬畑さんの歯の断面はX線に映らないほど平らだった。 長年にわたり強くかみしめてきたことが原因らしい。 医者は「こんな事例は見たことがない」と驚いた。 その時、瀬畑さんはふと我に返った。 「歯が耐えられずに割れるぐらい食いしばって、俺は何をしていたんだ」 その瞬間から、以前には戻れなくなった。…この記事は有料記事です。残り1561文字(全文2846文字)【前の記事】50歳目前、ナイキから漬物屋に 決断に後悔も、突き動かす思い関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>