「チッソは、私だった」 水俣病の闘士が父の敵に自らを重ねた理由

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インタビュー2026年9月12日 9時00分有料記事聞き手・石川智也 田中久稔 「私もまた、チッソだった」。水俣病に父を奪われ、患者運動を率いた闘士は、なぜそんな境地に至ったのか。敵(かたき)の原因企業を憎み抜いた末に緒方正人さんが見いだしたのは、自らの内なる〝加害者〟だった。だが、その独自の倫理観は批判も呼ぶ。被害と加害とは。責任とは。「公害の原点」は我々に問い続けている。急性劇症型の水俣病で父を失い、患者運動の先頭に立った漁師の緒方正人さん。自宅の目と鼻の先に、青海原の不知火海が広がる=熊本県芦北町女島、小宮路勝撮影父は畳をかきむしり、骨と皮になり死んだ ――水俣病と分かちがたく人生があった、と語っています。 「私にとって水俣病とは、生まれたときから文字通り『目の前』にあった問題です。私の生年はまさに、水俣市で初の発症例があった年でした。物心ついて最初の記憶は、まず海の異変です。自宅のすぐ前の海で魚が死んで浮いている。1匹、2匹なんてものではなく、何畳分もの固まりになって白い腹を見せていることもありました。そしたら次には猫が立て続けに死ぬ。網をかじるネズミを捕る猫は漁師村では大事にされていました。それが急によだれを垂らし、千鳥足で壁にぶち当たって海に落ちていく。そんな光景を強烈に覚えています」 ――その異変の中で、お父さんが発病されます。しかも、激しい症状を示す急性劇症型でした。 「人一倍の働き者で、たたき上げで網元になった男でした。私は当時6歳でしたが、18人きょうだいの末っ子だったので特にかわいがられました。健康そのものだったその父が急に手足のしびれを訴え、日に日に悪くなっていった。当時は病名も原因もわからない。最初はふらつくだけだったのが、言葉がもつれ、よだれを流す。そのうち一日に何度もけいれんを起こすようになる。畳をかきむしり、のたうち回る。私は母と一緒に病院に泊まり込み、震える父の手を握り、こぼれ落ちるみそ汁の椀(わん)を支えて飲ませました。自分に何かできることはないか、必死に探した。でも何もできなかった……」緒方正人さんの父、福松さんの遺影。急性劇症型の水俣病で亡くなった=親族提供 「モルヒネも効かず何も食べられなくなった父は2カ月後、骨と皮になって死にました。あまりにも激烈な死に様は、幼い私には受け止めようがなかった。その後、私も含めて家族・親族は次々と水俣病に襲われ、一族20人以上が発症します。『あの家から嫁をもらうな』と陰口もたたかれました」 「父を殺し、私たちをこげんな目に遭わせたチッソを決して許さん。父の仇(あだ)討ちをしなければならない――。その思いが幼心に強く刻まれました」チッソへの憎しみが生きる原動力だった ――チッソは公式確認の後も…【この記事の続きが読める】有料記事が読み放題のスタンダードコースが初回1カ月無料!詳しくはこちら宅配紙面の購読者なら、ダブルコース半年割がお得です。詳しくはこちらこの記事を書いた人石川智也ネットワーク報道本部専門・関心分野リベラリズム、社会思想史、メディア学、ジャーナリズム論、原発関連トピック・ジャンルこんな特集も注目ニュースが1分でわかるニュースの要点へ9月12日 (土)日銀、追加利上げの公算大陸自、無断で個人情報を収集世界の海面、異例の高温状態9月11日 (金)子の殺害「心中」ではないアップル初 折りたたみスマホラスカー賞 日本から4人受賞9月10日 (木)上智大生殺害 未解決30年中道「解体」正式決定米軍 PFAS汚染源認める9月9日 (水)羽田、管制指示違反に新規制日本の15歳学力、上位維持エッフェル塔でストライキトップニューストップページへフーシ、紅海沿岸の全域を制圧か 二つの海上要衝、同時に高まる危機6:32沖縄県知事選、13日に投開票 争点は経済や暮らし、安保論戦は低調5:00所得連動給付、国と地方が負担割合合意 消費減税の大綱、閣議決定へ8:00女性並ぶ「ショーケース」は廃墟に 「性売買防ぐ」法が変えた風俗街9:00「もう家から出られない」 想定超えた豪雨が都市に突きつけた課題6:00隠し続けた2度の出産 引っ越し重ねても手放さなかった2人の遺体5:00