「紀元節」復活にも反対 昭和天皇末弟「赤い宮様」の生涯追う

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毎日新聞 2026/9/27 07:30(最終更新 9/27 07:30) 有料記事 853文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷三笠宮崇仁親王 三笠宮崇仁親王は昭和天皇の末弟。戦中は軍人ながら「聖戦」の実態を知り厳しく批判し、戦後は歴史学者として、一般社会に向けて積極的に発言した。 気鋭の研究者、舟橋正真さんは新刊『三笠宮―昭和天皇末弟の近現代史』(中公新書・1155円)で異色の皇族の生涯を追った。戦後皇族のあり方模索、葛藤 生い立ちから100歳で亡くなるまで詳細にたどった。父母、兄3人と離れて暮らした幼少期。戦時下は陸軍参謀として中国戦線に出征した。 戦後は東京大で学び研究者の道を歩んだ。「紀元節」復活に反対するなど、「赤い宮様」と呼ばれる。また晩年まで皇族、旧軍人、学者として自らの責務を果たそうとした。 執筆は苦労もあった。「長寿だけに活動は多く幅広かった。どう一冊にまとめるか」と舟橋さん。資料の制約も。「特に幼少期から青年期、軍人として過ごした時期は、本人の思いを伝える資料がありませんでした」 三笠宮家所蔵の未公開史料や、側近の日誌など「超一級の史料」を駆使。「皇族としてだけではなく、一人の人間として描く」という目標に進んだ。 積極的に民間と交流し、メディアにも登場する弟に対して、昭和天皇は批判的だった。 「国家元首だった昭和天皇が、戦後に象徴天皇となりそのあり方を模索したよ…この記事は有料記事です。残り324文字(全文853文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>