毎日新聞 2026/9/23 07:15(最終更新 9/23 07:15) 有料記事 1603文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷『琉球年代記』(天保3年)の挿絵=国立国会図書館デジタルコレクションより 国や地域の「今」をより深く知るためには、歩んできた歴史を知ることが有効だ。地政学的複雑さを抱える現在の沖縄を理解するためには、琉球の時代へと時をさかのぼりたい。 その一助となる本がこのたび刊行された。東京大学大学院教授の渡辺美季さんが著した『琉球外交史 唐(トー)・大和(ヤマトゥ)の御取合(ウトゥイエー)』 (講談社選書メチエ・2200円)。本村凌二・東大名誉教授(西洋史)に書評を寄せてもらった。「両属」の安定からたどった運命 江戸末期のガイド本『琉球年代記』の挿絵のなかに、丁髷(ちょんまげ)頭の日本人とともに、丸い髷に長い簪(かんざし)を挿している琉球人がいる。ここには、額から頭頂までの髪を剃(そ)れば丁髷になることが隠されており、明・清の中国人の目をくらますというおかしさがあったらしい。 大陸との間には東シナ海が拡(ひろ)がり、日本本土とは島々を頼れても黒潮を横切らねばならなかった。温暖で食料も確保しやすかったから、沖縄諸島が農耕社会に転じたのは、11世紀後半のわが国で院政が始まったころからだった。 このころから、陶器や石鍋などの容器が大量に出まわり、交流が盛んになり、権力や財力の格差による社会の階層化が進む。13世紀後半には按司(あじ)とよばれる地域首長が抬頭(たいとう)し、小高い丘の上にグスク(城)が造営されるようになったという。東アジアの覇者・明が海禁で取締り、華人海商が退きがちになると、琉球は朝貢活動に勤(いそ)しみ、明の国際秩序の下に東シナ海域・南シナ海域を結ぶ中継貿易に手を染めだす。 15世紀後半には、大国明の庇護(ひご)のもとに小国ながら中継貿易が盛んになり、16世紀初頭には琉球は周辺諸島を武力で制圧する勢いにあった。その勢威たるや17世紀に日明貿易の仲介を迫る徳川政権の要請を拒絶するほどであった。 やがて重税や飢饉(ききん)などの混乱のなかで、満州の清が攻勢を増し、中華の支配者にのし上がり、漢人にも辮髪(べんぱつ)・清服などへの服従を強要した。儒学を尊ぶ康熙帝の治世に、忠実な朝貢国として期待された琉球は孔子廟(びょう)のある官立学校や漢文正史にとり組む。 だが、すでに日本経由の儒学が盛んであり、薩摩の島津氏の侵攻後は、琉球は日本の支配に適応する必要もあったらしい。とはいえ、琉球は日本との交わりについて口にしたがらず、隠蔽(いんぺい)…この記事は有料記事です。残り609文字(全文1603文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>