狂気の正体 沖縄戦81年ストーリー 喜屋武真之介平川昌範毎日新聞 2026/6/24 07:00(最終更新 6/24 07:00) 有料記事 2037文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷仲原善助さんの手記には、「事件に直接参加した人」から聞いた話として、住民9人が殺害されたときの様子を再現した絵も描かれていた=那覇市で2026年6月21日、喜屋武真之介撮影 第二次世界大戦下の沖縄県・久米島で、日本軍の部隊が起こした住民虐殺事件については、部隊に所属していた島出身の元兵士が戦後、手記に残していた。 「其(そ)の罪永劫(えいごう)に許さるべきものではない」。元兵士で1991年に87歳で亡くなった仲原善助さんは事件についてこう断じている。 手帳の1ページ目に「戦争のこと」と大きく書かれた全60ページの手記は、後世に何を伝えようとしたのか。 沖縄戦では、住民が「スパイ」と疑われ、日本軍に殺害される事件が相次いだ。それは戦場を覆う「狂気」が生んだ悲劇だったのか。関係者の声に耳を傾ける連載の最終回です。 ▽「やむなくやった…」 打ち明けた住民虐殺 父が抱え続けた罪 ▽密告で殺された親友 「こいつのせいで…」 こらえ続けた憤怒憎まれた男性の悲劇 45年6月26日、久米島に1000人規模の米軍が上陸した。日本海軍電波探信隊は投降を拒み、わずか30人あまりで山にこもった。手記によると、米軍上陸後も住民から「いろいろ情報がきた」という。 その中に、米軍に協力しているとして、久米島出身のある男性の殺害を求めるものがあった。「1軒家に1人でいるから、殺してくれ」 男性は激しい地上戦が展開された沖縄本島で捕虜になり、島の案内役として米軍に連行されてきた。仲原さんは手記で「当時の日本人の気持(ち)」として、敵に協力している形のこの男性を「みんなで憎んだことと思ふ」と振り返っている。 男性は8月18日、妻子とともに殺害された。しかし、その後、米軍が上陸前に計画していた艦砲射撃をその男性が中止させたという話が、島に広まった。多くの住民は一転して、亡き男性に感謝をささげた。 部隊による住民虐殺は4件。犠牲者は20人に上った。仲原さん自身は、いずれの虐殺事件についても関与を否定する。島の出身だっ…この記事は有料記事です。残り1270文字(全文2037文字)【前の記事】密告で殺された親友 「こいつのせいで…」 こらえ続けた憤怒関連記事【最新記事】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>