毎日新聞 2026/6/29 16:00(最終更新 6/29 16:00) 有料記事 2572文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷インタビューに答える国交省の水嶋智・事務次官=東京都千代田区で2026年6月1日、吉田航太撮影 「第2の開港」と呼ばれる空港拡張プロジェクトが進む成田空港(千葉県)で、土地の強制収用手続きが始まる見通しとなっている。開港前に社会的混乱を引き起こした教訓から、「成田ではタブー」とされてきた空港用地の確保策だ。 かつて滑走路建設に奔走し、「秘策」を編み出したことでも知られる現役官僚の目に、昨今の成田はどう映るのだろうか。国土交通省の水嶋智・事務次官(63)に話を聞いた。言明されたのは「強制力を行使せず」 「昭和の力と力の対立を経て、平成でいろいろな知恵を絞り、令和はまた違う局面を迎えて……」 水嶋氏は東京・霞が関の合同庁舎で、自身と成田の歩みを振り返った。 旧運輸省(現国交省)への入省は1986年。成田の開港から8年後のことだ。成田か国鉄に携わりたい、そう考えていた。 念願かない、92年から航空局総務課の課長補佐を務め、成田絡みの行政訴訟の対応に従事した。別の部署を経て96年、新東京国際空港課に異動。整備推進調整官として成田を直接担当することになった。 当時最大の懸案は、2本目の平行滑走路(B滑走路)の建設用地をいかに確保するか。強制力を行使しないよう、上司から言明された。念頭にあったのが、社会的混乱をもたらした開港前夜の「成田闘争」だ。 政府は66年、地元に十分な説明をしないまま空港建設を閣議決定した。これに猛反発した地権者と支援者らは反対同盟を結成。警察の機動隊と衝突する激しい建設反対運動を展開し、双方に死者も出た。国側は71年、土地収用法などに基づく2度の行政代執行で未買収用地を強制収用し、78年の開港にこぎ着けた。 「対立構造の中で先鋭的な権力行使がなされ、お互いが不幸になった」。入省前の経緯を反すうしつつ、平行滑走路の実現に奔走したという水嶋氏。成田空港には「成田」と「空港」の二つの問題が潜んでいると気付いた。 90年代、国側と反対派は、公開のシンポジウム・円卓会議などで対立構造の解消に努めた。国側は強権的な空港建設を謝罪し、滑走路の建設について「あらゆる意味で強制的な手段が用いられてはならず、あくまで話し合いにより解決する」ことを約束。「成田問題」は一定の前進を見た。 一方で、日本の玄関口として成田をいかに発展させていくのか。「空港問題」を巡る議論は進展していなかった。「秘策」はこうして生まれた 「平行滑走路ができなければ、日本は国際化の波から取り残されてしまう。運輸省の人間として腹を切っても切りきれない」 水嶋氏は霞が関から成田に足しげく通い、地権者に頭を下げて回った。休日も赴くため、トヨタ・スプリンターの中古車を42万円で購入。地権者の多くを占める農家の気持ちに寄り添おうと、官舎でホウレンソウ栽培にも取り組んだ。 すると、少しずつだが会話に応じてくれる農家が出てきた。ただ、あくまで世間話まで。肝心の用地買収の話はかたくなに口を閉ざした。 「刀折れ、矢も尽きた時に『うわっ』ときた。これは世に問う値打ちがあるんじゃないかと」。水嶋氏がそう述懐する「秘策」が生まれたのは、99年5月。旧運輸省が平行滑走路の2000年度完成を断念すると発表してから、まもないタイミングだった。 霞が関の庁舎で水嶋氏が夜な夜な、同僚たちと成田の地図を入念に確認していた時のこと…この記事は有料記事です。残り1215文字(全文2572文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>