帰れないひとびと ミャンマー国境から:逃れた先にも「医療の空白」 国境の診療所 命つなぐ橋に

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帰れないひとびと ミャンマー国境から現場ルポ 小泉大士毎日新聞 2026/6/26 05:02(最終更新 6/26 05:02) 有料記事 2057文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷4日前に生まれたヨーンナディアンちゃん=タイ・メソトのメータオ・クリニックで2026年5月27日、久保玲撮影 生後5日の娘を抱き、ムームーエイさん(20)は病棟のベッドに腰掛けていた。 タイ北西部メソトのメータオ・クリニック。ミャンマーの最大都市ヤンゴン出身の彼女は昨年4月、仕事を求めてタイ側へ来た。夫は不定期の日雇い労働で家族を支える。安定した収入はない。 妊娠が分かると、周囲の人から「メータオへ行った方がいい」と勧められた。出産前、赤ちゃんが逆子だと分かった。タイのメソト総合病院へ搬送され、緊急帝王切開で第1子の娘は無事に生まれた。このときは、費用もクリニック側が負担した。 クリニックがなければ、地域で出産を手伝う人に頼るしかなかったという。「お金がなくて、どうしようもなかったと思います」 ミャンマーでは2021年のクーデター後、国軍側と民主派の抵抗勢力、少数民族武装勢力などとの戦闘が広がり、内戦状態が続いています。戦闘や弾圧を逃れて国境を越えた人たちは、その後をどう生きているのか。タイ国境の町メソトとその周辺で、故郷を離れた後も続く人々の時間を追いました。連載「帰れないひとびと ミャンマー国境から」の3回目です。国境の町に35年 朝8時。受付前の長椅子に、患者が並び始める。タイの身分証がない人も受診できる。診療は原則無料だ。院内では、主にミャンマーの言語であるビルマ語とカレン語が飛び交う。 シンシア・マウン医師(66)は1988年、軍事政権による民主化運動への弾圧を逃れ、この町へ来た。 「数年で帰れると思っていました」 だが翌年、クリニックを開設し、それ以来、35年以上にわたり、国境の町で医療活動を続けてきた。タイの病院にかかれない人もいれば、軍政下のミャンマーへ戻れない人もいた。医療には大きな空白があった。 2011年にミャンマーで民政移管が始まると、中央政府の保健省や少数民族地域の保健組織、NGOなどの連携が少しずつ進んだ。しかし、21年のクーデターで、その流れは途切れた。戦闘や空爆で住民が避難し、地域の保健ワーカーも施設で働けなくなった。医薬品や医療資材の供給網も損なわれた。 5…この記事は有料記事です。残り1200文字(全文2057文字) ◆海外難民救援金募集 毎日新聞社と毎日新聞東京・大阪・西部社会事業団は、紛争や災害、貧困などで苦しむ世界の人たちを支援する救援金を募集しています。 ◆連載「帰れないひとびと ミャンマー国境から」 ▽戦火逃れ川辺の教室へ ミャンマー国境 学び続ける子どもたち ▽川を越えても終わらぬ避難 国境の町メソト 続く仮の暮らし ▽「書類」があっても自由ではない 摘発におびえ、茶店を営む姉妹(27日午前5時) ▽元入管職員が「書類」のない避難者に 仮の暮らしは4年に(27日午前5時) ▽「学校」になれない学校 国境の町 戦火逃れた子ども受け入れ(28日午前5時) ▽軍を抜け、徴兵を逃れ その先に日本 タイ国境で学ぶ若者たち(29日午前5時) ▽川の手前で宙づりの日々 食料尽きれば危険地へ(30日午前5時) ▽カヤー州に逃れた避難民 目の前で吹き飛んだ義弟(30日午前5時)【前の記事】川を越えても終わらぬ避難 国境の町メソト 続く仮の暮らし関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>