戦後80年を迎え、「平和の火」の奥に広がる摩文仁の海を眺める人たち=沖縄県糸満市の平和祈念公園で2025年6月23日午前5時55分、北山夏帆撮影 沖縄は23日、第二次世界大戦末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」を迎えた。 住民を含む約20万人が命を落とした日米両軍の地上戦から81年。県民の9割以上は戦後生まれとなり、戦争の悲惨さと社会にもたらした影響を学び、伝える平和学習のあり方が問われている。 国際社会は武力で紛争を解決しようとする動きが強まり、不安定さを増す。沖縄戦最後の激戦地、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園には早朝から多くの遺族らが訪れ、恒久平和を願った。Advertisement「平和のあり方」どう学ぶか転覆後、海上保安庁によって辺野古漁港に運ばれた2隻の船=沖縄県名護市で2026年3月16日午後1時26分、喜屋武真之介撮影 沖縄県名護市辺野古沖では3月、修学旅行中の同志社国際高校(京都府京田辺市)の生徒18人らが乗った小型船2隻が転覆し、女子生徒ら2人が亡くなった。事故は、政府が進める米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設工事現場を「平和学習」として海上から見学する中で起きた。 運航の安全管理体制が問われた事故は、文部科学省が5月、同校の教育内容が「教育の政治的中立性」を定めた教育基本法に違反すると認定したことで、新たな議論を呼んでいる。 平和のあり方を巡り、意見が対立する問題をいかに学ぶか。社会に突きつけられた重い課題だ。9月には知事選、県民に分断埋め立て工事が始まった米軍キャンプ・シュワブ東側の大浦湾=沖縄県名護市で2025年11月28日午後3時34分、本社機「希望」から幾島健太郎撮影 一方、辺野古移設に象徴される戦後沖縄の米軍基地問題は、解決の見通しが立っていない。 沖縄県では戦後27年続いた米国統治時代に広大な基地が建設され、今も全国の米軍専用施設面積の7割が集中する。米軍機の騒音や事故、米軍関係者による性暴力、基地周辺の環境汚染などは、住民生活の大きな負担になっている。 日米両政府が1996年に合意した普天間飛行場の全面返還は、いまだ実現していない。条件とされた辺野古移設は県民の反対が根強く、移設に向けた埋め立て工事も難航や事業費の膨張が懸念されている。 移設を進める政府の強硬姿勢は、県民に深い分断をもたらし、9月の知事選でも賛否が争点になるとみられる。「平和の維持」 沖縄の切実な願い 世界では、米国によるイラン攻撃をはじめ、武力で局面を打開しようとする動きが強まり、各地で市民の命と暮らしが脅かされている。 中国の軍事力強化を背景に、日本は南西諸島の防衛力拡充を図る「南西シフト」や日米合同訓練の拡大を進める。日中関係の悪化が続く中、大国のはざまで翻弄(ほんろう)され続けた沖縄で、平和の維持は切実な願いになっている。 平和祈念公園で23日、県と県議会が主催する「沖縄全戦没者追悼式」には、2025年10月に就任した高市早苗首相が初めて参列する。 式では玉城デニー知事が「平和宣言」を読み上げる他、豊見城(とみぐすく)市立豊崎中2年の亀谷琉奈(るな)さん(14)が平和の詩「生きたいと願った証」を朗読する。亡き曽祖母の足に残った傷痕を題材に、戦争の苦しみと平和の意味を訴える。 国籍や軍民の区別なく沖縄戦の戦没者らの名前を刻んだ公園内の「平和の礎(いしじ)」には今年新たに95人の名前が刻まれた。総刻銘者数は24万2659人となった。【平川昌範】沖縄戦 第二次世界大戦末期、米軍は日本本土の攻略拠点とするため沖縄に侵攻。1945年3月26日に慶良間(けらま)諸島に、4月1日に沖縄本島に上陸した。日本軍第32軍は本土決戦を遅らせるため、持久戦を展開し、住民の被害が拡大した。6月23日(22日の説もある)に第32軍司令官が自決し、組織的戦闘は終結したが、日本軍が9月7日に降伏文書に調印するまで各地で散発的な戦闘が続いた。 犠牲者は日米で約20万人。うち住民約9万4000人(推計)が米軍の攻撃の他、日本軍による虐殺や、集団自決で犠牲になった。沖縄出身の軍人・軍属と合わせ、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。関連記事【最新記事】