狂気の正体 沖縄戦81年ストーリー 喜屋武真之介毎日新聞 2026/6/23 07:00(最終更新 6/23 07:00) 有料記事 2117文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷仲の良かった谷川和夫さんや綾子さんとの思い出を振り返り、涙する上江洲教昭さん=沖縄県久米島町で2026年6月5日、喜屋武真之介撮影 ♪肩を並べて兄さんと、今日も学校へ行けるのは、兵隊さんのおかげです―― 第二次世界大戦下の久米島(現・沖縄県久米島町)。悪化する戦況とは裏腹に、山のふもとにある木造校舎からは子どもたちの元気な歌声が響いた。 国民学校初等科の3年生だった上江洲教昭(うえずのりあき)さん(90)は、ひときわ高らかに声を上げる同級生の谷川和夫さんの姿をはっきり覚えている。 「兵隊は子どもにとって憧れだった。その兵隊に和夫が殺されるなんて」 沖縄戦では、住民が「スパイ」と疑われ、日本軍に殺害される事件が相次いだ。それは戦場を覆う「狂気」が生んだ悲劇だったのか。戦後81年、戦没者を悼む23日の「沖縄慰霊の日」を前に関係者を訪ねた。 「やむなくやった…」 打ち明けた住民虐殺 父が抱え続けた罪放課後に一緒に遊んだ砂浜 教昭さんが和夫さんと同じクラスになったのは、3年生になった1944年。前年に沖縄本島から家族で移り住んできた和夫さんとはすぐに親友になった。「和夫は勉強ができて優秀だったが、私と同じく背が低く、いじめられることもあった。小さい者同士で息が合った」 放課後は近くの砂浜で遊んだ。和夫さんは3歳下の妹、綾子さんをよく連れてきており、和夫さんが釣りをする時は代わりに面倒を見た。 「谷川家は貧しく、和夫の釣る魚も大事な食料だったのだろう。妹はいつもおなかをすかせていた」。おやつ代わりにキュウリをあげると喜び、「にーにー」と呼ばれ、慕われた。米軍上陸、日本軍と板挟みの住民 45年3月には空襲が激しくなり、住民は防空壕(ごう)での生活を余儀なくされた。「授業中にも空襲警報が鳴って、…この記事は有料記事です。残り1429文字(全文2117文字)【前の記事】「やむなくやった…」 打ち明けた住民虐殺 父が抱え続けた罪関連記事【最新記事】あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>