私のライフシフト毎日新聞 2026/6/26 11:00(最終更新 6/26 11:00) 有料記事 2417文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷博士号の学位記を持つ森和明さん=兵庫県加古川市で2026年4月27日午後1時12分、露木陽介撮影 20代の頃から抱いていた「研究者になりたい」という夢。約50年の時を経て、実現させた男性がいる。75歳で念願の工学博士となり、「この世にまだないものを生み出したい」と意欲を燃やす。諦めていた夢を再びつかんだのは、ひょんな出会いがきっかけだった。 兵庫県加古川市にあるビルの一室を訪ねると、その博士、森和明さん(75)が待っていた。今年3月に博士号を取った論文を見せてもらった。 黒い表紙に金文字で刻まれたタイトルは「情報科学の手法を取り入れた微小部蛍光X線非破壊分析に関する研究」。難解な用語に思わず身構えると、「X線を用いて物質の種類を特定する研究なんです」と柔らかい口調で教えてくれた。 加古川市出身の森さん。子どもの頃から理科が好きで、父親の持っていたオートバイを触ることが趣味だった。「手先も器用な方だったと思う」と振り返る。 <主な内容> ・研究に没頭した学生時代 ・夢諦め、ビジネスへ ・きっかけは仕事 ・研究生活を支えたものコンピューター研究に没頭 高校生の時、1級建築士だった父親の友人に影響を受け、建築を学ぼうと大学受験に挑んだ。しかし、受験した国立大は不合格。高校の物理の先生に「これからはコンピューターの時代だ」と勧められたこともあり、大阪電気通信大の工学部に進学した。一転してコンピューターの勉強に励むこととなった。 学内のコンピュータークラブの部長を務め、「コンピューターの理解は大学で一番という自信があった」という森さん。すると、大阪市立大(現大阪公立大)工学部の研究室から、エンジンのコンピューター制御についての共同研究の話が舞い込んできた。 大学4年生の1年間では研究は終わらず、卒業後は市立大の研究生として、日夜研究に打ち込んだ。知識を生かして試行錯誤するのはこの上ない喜びで、「研究で社会に貢献したい」という思いは募るばかり。当時の研究室の教授からも「このままずっと研究を続けないか」と大学院への進学を勧められた。大学院断念、ビジネスで開花 ところが、思い通りにいかないのが人生だ。ちょうどその頃、妹の私立大薬学部への進学が決まった。両親が2人分の学費を捻出することは難しく、大学院進学は断念。富士通にシステムエンジニアとして入社した。 5年ほどで退社して加古川市に戻り、独立。父親と2人でソフト開発を手がける会社をおこし、販売管理や給与計算などができるソフトを中小企業向けに売り込んだ。 営業をかけた企業の業務効率化につながるソフトの製作こそしていたが、心の中では「コツコツと研究してもっと画期的なものを世に出したい」との思いが拭えなかった。 会社は軌道に乗り、事業を多角化。1986年から社長となったほか、通信制高校や専門学校の理事長として、6社・団体のグループに約200人の従業員を抱えるまでになった。きっかけは仕事の依頼 転機は突然だった。 2019年のこと。大阪公立大…この記事は有料記事です。残り1209文字(全文2417文字)【前の記事】六本木ヒルズから山奥の秘湯へ 元外銀役員が温泉宿を継いだ理由関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>