毎日新聞 2026/6/22 16:00(最終更新 6/22 16:00) 有料記事 2033文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷維新派「透視図」(2014年10月、大阪・中之島GATEサウスピア)=井上嘉和さん撮影 西日に輝く草原、たそがれの内海、高層ビル群の夜景――。海辺や湖畔、高原に仮設劇場を設け、風景を取り込んだ壮大な野外劇を続けた劇団「維新派」。その主宰者である松本雄吉さんが亡くなって、今月18日で10年が過ぎた。劇団は2017年に解散したが、活動をともにした表現者たちの中に、その精神は今も息づいている。 松本さんは、1946年に熊本・天草で生まれた。大阪教育大で美術を専攻し、70年に「日本維新派」(87年に「維新派」と改称)を結成。初期には「荒行」のようなパフォーマンスをしていたが、90年代に入り、変拍子に大阪弁のせりふをのせた「ヂャンヂャン☆オペラ」で独自の世界を切り開いた。大阪・南港などの野外に劇団員自らの手で大がかりな仮設劇場を建設し、「漂流」や「移民」をテーマに公演を重ねた。 「寺山(修司)さんや唐(十郎)さんが文学から演劇に向かったのに対し、松本さんの表現は美術から始まった」 日本の演劇史に類例のない作風の原点に、前衛美術集団「具体美術協会」の影響を指摘するのは、編集者の小堀純さんだ。54年結成の具体は、インスタレーションやパフォーマンスアートの先駆けとして、近年再評価が進んでいる。 小堀さんが初めて維新派の舞台に触れたのは、公演の記録映画「足乃裏から冥王まで」(79年)だった。俳優らが逆さづりになるなどの苛烈なパフォーマンスに衝撃を受けたが、「キワモノや露悪的な印象はなく、むしろ崇高さを感じた」という。 維新派は、91年の「少年街」でその名を全国区に広げた。東京・汐留の空き地に巨大な廃虚の街を作り上げ、「ヂャンヂャン☆オペラ」のスタイルを確立した。 「荒行」から「風景を巻き添えにした」野外劇へ。小堀さんはその変化を、表現者としての必然と捉える。「好奇…この記事は有料記事です。残り1290文字(全文2033文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>