毎日新聞 2026/6/28 05:00(最終更新 6/28 05:00) 有料記事 2399文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷2025年1月の一時停戦で、サバラ・ムイーンさんは離れ離れになっていた兄弟の再会に出くわした=2025年1月28日、サバラさん撮影(古居みずえさん提供) 空爆で街はがれきの山となり、食料や医療品などの支援物資も十分ではない。そんな厳しい状況で暮らす女性2人が書いた日記をまとめた書籍が今春、出版された。 単なる戦況報告ではない。長い占領と剥奪の歴史の中で、食べ物もなく、爆撃され、逃げ場もない三重苦が今なお解決していない状況を訴える悲痛な叫びだ。避難先での悲惨な生活 イスラエルによる制限で、海外メディアがガザに入るのは難しい。長年、パレスチナを取材してきたジャーナリストの古居みずえさんは「ガザで何が起きているのか、どうしても知らなきゃ」と知り合いをたどり、日記を書いてくれる人を探し出した。 1人目はアルアクサ大で英文学を専攻していた北部ガザ市在住で20代のサバラ・ムイーンさん。 2024年1月23日朝、イスラエル軍の地上侵攻で戦車やブルドーザーが押し寄せ、数人の市民が自宅の前で殺された。銃弾が飛び交い、ドローンが電子音声で「立ち去れ」と命令する中、22歳だったサバラさんらは何も持たずに家を出た。 「なぜ私たちにこんなことが起こるの? 私たちは普通の人間なのに。こんな苦しみを受けなければならないことをした?」。泣きながら倒れ込んだ際に目の前で母子が殺害され、避難を続けたという。 避難先のガザ南部は悲惨だった。遠くまで水を求めて向かい、まきを集めて火をおこす。テント生活で冬は洪水と厳しい寒さ、凍えるような水での洗濯、夏は暑さに苦しめられた。 布だけで囲ったトイレにプライバシー保護は期待できない。父親は薬が不足する中、つらいがん治療に耐えていた。25年1月の停戦合意を受けてガザ市に戻った。「夢を見る力を奪うことはできない」 サバラさんは人道支援団体で英語メディアの広報として働いた。孤児院で出会った子どもたちは苦しくても笑顔で迎えてくれた。「つらさと同時に希望を持てた。笑顔になるだけで希望につながることができる」 大学は大破したが、サバラさんはインターネットが接続できる場所を探し、オンライン学習を続けて25年春に卒業した。「夢を見る力を奪うことはできません。そして私が発する言葉も奪うことはできないのです」とつづった。 25年6月、食料を受け取りにイスラエルとの境界付近へ向かったいとこが殺された…この記事は有料記事です。残り1467文字(全文2399文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>