「戦争は一番の罪悪」 美輪明宏さんが考える日本が大切にすべきもの

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毎日新聞 2026/6/28 11:58(最終更新 6/28 11:58) 有料記事 3124文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷自身の被爆体験や次世代への期待を語った美輪明宏さん=撮影・御堂義乗(オフィスミワ提供) 歌手で俳優の美輪明宏さんが20日、老衰のため死去しました。長崎市生まれの美輪さんは被爆体験を伝え、平和への思いを語り続けてきました。戦争にまつわるエピソードを美輪さんに聞いた2020年7月18日掲載のインタビューを再掲します。(年齢や肩書、日付は当時のまま) 歌手で俳優の美輪明宏さん(85)=長崎市出身=が毎日新聞のインタビューに応じ、自身の被爆体験や戦争の記憶、故郷への思いなどを語った。広島・長崎に原爆が投下されて75年の節目の年に、美輪さんが伝えたいこととは――。【聞き手・松村真友】 ――75年前の長崎はどんな町でしたか。 ◆長崎全体がグラバー邸ではないですけど、不思議な、コンテンポラリー(現代的)でロマンチックな町だったんです。日本風と洋風が混ざり合って、すてきでした。それが戦争が始まって防空壕(ごう)を掘って、中でひっそり息を潜めていました。今の新型コロナウイルスの時代みたいに息を詰めて、時の過ぎるまでじーっと息をこらして、とにかくこもりきっていたわけです。戦争が起きて原爆が落とされて、何もかも灰になってぼろぼろの町になりました。一瞬にして。 ――1945年8月9日はどんな体験をされましたか。 ◆私は(爆心地から約4キロ離れた)実家がある長崎市本石灰(もとしっくい)町にいたので、命は助かったんです。私は自宅の2階の部屋で宿題の絵を描いていまして。ちょうど描き終わって、総ガラス張りの縁側から2、3メートル離れて絵を見ていました。「あれっ」と思った途端にいきなり雷が1万個ぐらい落ちたような光がピカッと光りまして。「あれ、こんな良い天気なのに雷?」と思うか…この記事は有料記事です。残り2433文字(全文3124文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>