毎日新聞 2026/10/10 11:00(最終更新 10/10 11:00) 有料記事 3059文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷スッポン料理の数々。(右上から時計回りに)スッポン煮こごり、スッポン仕立て丸豆腐、唐揚げ、パンスープ煮、スッポンだしの鶏卵うどん、勝ちえびご飯のおにぎり=大阪市阿倍野区で2026年9月15日、久保玲撮影 神々をまつる神祇(じんぎ)国家から、仏教で国を守る鎮護国家への転換を図る聖武天皇が、その秘策として進めた神仏融合に、大きな役割を果たした神様がいる。宇佐神宮(大分県宇佐市)の宇佐八幡(はちまん)だ。なぜ宇佐だったのか? 宇佐名物のスッポンをいただきながら考えた。「美食地質学」第41講となります。シリーズはこちらから読むことができます。宇佐八幡は「ロールモデル」 はしかパンデミックなどの国難にどう対処するか。東国行幸(740年)に出て恭仁(くに)京(京都府木津川市)に遷都し、紫香楽宮(しがらきのみや)(滋賀県甲賀市)で大仏建立を始めるも、地震や山火事に妨げられて平城京(奈良市)への帰還を余儀なくされた――というのが前回までの聖武天皇。なかなか思い通りにいかないのだ。 マグマ学者の巽好幸さんが、今回のテーマを語る。巽「鎮護国家でいくと腹を決めたはいいが、神様の後胤(こういん)たる天皇が仏にすがってええんか、という問題に、どうけりをつけるか。聖武天皇と右腕の橘(たちばなの)諸兄(もろえ)が考え出したのが神仏融合。ごく簡単に言うと、神も仏も一緒やということにすればいいと。で、始めたプロジェクトの一つが、宇佐八幡を担ぎ上げ、日本の神々の代表として、大仏建立を応援すると言わせることやったんです」 宇佐神宮の社伝などによると、712年に八幡大神の社殿ができ、720年、隼人(はやと)の乱の鎮圧に参戦。725年、現在の地に御殿を建て、これが創建とされる。では聖武天皇のプロジェクトに、宇佐八幡が必要とされたワケは?巽「既に神仏融合をしてたから。朝廷はそれを知ってた」 まずは宇佐の…この記事は有料記事です。残り2367文字(全文3059文字)Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>