ストーリー 小林大輝毎日新聞 2026/5/30 05:30(最終更新 5/30 05:30) 有料記事 2961文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷萱野茂さん=北海道平取町二風谷で2005年12月11日午後、高橋昌紀撮影 アイヌ民族の言葉や文化の復興に尽力し、アイヌ民族初の国会議員となった萱野茂さん(1926~2006年)。2026年は生誕100年に当たる。生前は懐の深さや厳しい一面を見せたが、根底には「アイヌは誇り」との思いがあった。萱野さんが生涯をかけて残したものとは。 1983年2月、萱野さんの自宅に北海道大の学生から手紙が届いた。 「アイヌの文化や生活を学ぶため、1年間自宅に滞在させてほしい」 唐突なお願いだった。 送り主は、札幌大アイヌ文化教育研究センター長を務める本田優子教授。 当時は文学部4年で、日本史を専攻していた。 卒業論文で明治時代のアイヌ政策についてまとめた。 「アイヌ文化についてもっと学びたい」 アイヌ語の講座を通じて面識があった萱野さんに手紙を書くことを思い立った。 萱野さんに手紙が届くころを見計らい、北海道平取町の萱野さん宅の電話を鳴らすと、萱野さんはこう返した。 「いいよ。おいで」 あっさりと居候が許可された。 拍子抜けしたが、懐の深さに感銘を受けた。 「今思えば、突然居候させてくれなんて、何ともずうずうしい」。本田さんは苦笑しながら当時を振り返った。萱野さんの強い意志 萱野さんから許しをもらった本田さん。 83年4月、大学卒業と同時に札幌市を離れ、萱野さん宅で暮らし始めた。 萱野さんは72年に故郷の平取町二風谷に自身が収集したアイヌ民具を展示する「二風谷アイヌ文化資料館」(現在の萱野茂二風谷アイヌ資料館)を設立していた。 本田さんはここで受付スタッフとして働きながら萱野さんの助手を務めた。 84年以降は萱野さん宅を出て、資料館近くの住居で生活したが、いつも萱野さんと近い場所に身を置き、アイヌの文化や生活について学んだ。 こんなこともあった。 この時期、萱野さんはアイヌ語を教える保育所を二風谷に設置する運動に力を入れていた。 「言葉を身につけるには、子どものころから取り組まないとだめだ」 アイヌ語は同化政策で失われかけていた。幼児への言語教育を通じてアイヌ語を復興したい。萱野さんの強い意志が感じられた。 しかし、保育所を所管する旧厚生省がアイヌ語を教えることを許さなかった。 そこで、萱野さんは83年に「二風谷アイヌ語塾」を開設。自ら建てた図書館を使い、小中学生にアイヌ語の単語や発音を教えようと考えた。 アイヌ語塾は前例がない試みだった。 塾は徐々に注目を集め、現在も「平取町二風谷アイヌ語教室」として継続している。 二風谷はアイヌ語教育の先進地域として知られるようになった。 ところが、開講当初は生徒が思うように集まらなかった。 アイヌ民族の住民の多くが、再びアイヌ語を話すことで差別を受けるのを恐れていたためだ。 言語を継承する意義も認知されていない時代だった。 <記事後半の内容> ・萱野さんがこだわったアイヌへの思い ・生涯をかけて伝え続けたもの ・現在も引き継がれている遺志 本田さんは「子どもたち…この記事は有料記事です。残り1734文字(全文2961文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>