デジタルを捨てよ 町へ出よう!:日本の近代化を支えた高島炭鉱 閉山直前の記憶

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デジタルを捨てよ 町へ出よう!毎日新聞 2026/5/25 07:00(最終更新 5/25 07:00) 899文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷高島炭鉱の落日。映画の場面みたい=長崎県高島町(現長崎市)の高島で1986年11月22日、中村琢磨撮影写真一覧 長崎県高島町(現長崎市)の高島炭鉱は、1986年11月27日に閉山しました。南西約2・5キロに浮かぶ端島(軍艦島)と共に、「明治日本の産業革命遺産」の構成資産として世界遺産に登録されています。前回の池島炭鉱に続く「炭鉱の島」第2弾。懐かしいフィルムは閉山数日前の島の記憶を呼び起こしてくれます。【中村琢磨】「うまか!」=長崎県高島町(現長崎市)の高島で1986年11月22日、中村琢磨撮影写真一覧 19世紀後半から旧三菱財閥によって本格的に開発された高島炭鉱は、日本の近代化を支えた国内初の近代的海底炭鉱でした。前回の池島炭鉱が旧三井財閥系なのとは対照的ですね。Advertisement 劣悪な労働環境が事件化して社会問題となったり、多数の死者を出す事故もあったりしました。石炭は50年代からのエネルギー革命で主役の座を石油に奪われ、85年の粉じん爆発事故は閉山への決定打だったのかもしれません。正に、昭和時代ですね=長崎県高島町(現長崎市)の高島で1986年11月23日、中村琢磨撮影写真一覧 「軍艦島」のイメージに引っ張られるのか、高島には「石炭産業以外に何もない」と思われる方も多いみたいです。いやいやそんなことはありません。 昔ながらの集落の「えっ、こんな所に?」という場所に、古くからの店もありました。炭鉱がもたらしたにぎわいは、手の届く範囲でなんでもそろう「便利」をもたらしてくれた側面もあったのかもしれません。カトリック高島教会の屋根の上には、高層アパート群=長崎県高島町(現長崎市)の高島で1986年11月23日、中村琢磨撮影写真一覧 残念ながら閉山とともに、その「便利」は一瞬で消えてしまいました。でも考えてみれば、炭鉱の歴史の方が浅いのです。本来の高島の姿を取り戻す良い機会なのかもしれません。 屋根の上に炭鉱住宅が並ぶカトリック高島教会のルーツはかつて、迫害を逃れて移住した潜伏キリシタンともいわれています。炭鉱開発の前は半農半漁の静かな島だったのです。炭鉱は「3交替制で24時間稼働」の不夜城=長崎県高島町(現長崎市)の高島で1986年11月22日、中村琢磨撮影写真一覧 波の音は、ゆっくりとしたリズムで体に染み入ります。陸上で社会の物事を考えるのとは、別次元の世界なのですかね。撮影機材Nikon F、24mmF2.8、35mmF2.8、105mmF2.5、200mmF4 フィルムはKodak Tri-X(ISO400)です。島は狭い場所も多く、起伏も激しいので、24mmと105mmの使用頻度が高かったように思います。怠惰な人間なので、三脚は持ち歩きません。夕景色(夜景)も、手持ち8分の1秒でなんとかごまかしました。【前の記事】黒いダイヤに沸き、子どもも湧き出す 昭和末期の炭鉱「池島」関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>