毎日新聞 2026/5/30 14:00(最終更新 5/30 14:00) 有料記事 1916文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷水俣病公式確認70年の節目に、犠牲者慰霊式で黙とうをささげる参列者ら=熊本県水俣市で1日、中村敦茂撮影 「もはや戦後ではない」。経済白書でそううたい、日本が高度成長に走り出した1956年、不知火海に面した九州の西岸の街で異変が分かりました。5月で公式確認から70年が経過した水俣病。連載記事で歴史的な経過や残された課題を検証してきた中村敦茂記者が、「公害の原点」が私たちの社会に問い続けるものは何なのか、考えました。「人間尊重」の問い なお続く中村敦茂(水俣通信部) 水俣病の公式確認はこの年の5月1日のことだ。熊本県水俣市の海辺に暮らす幼い姉妹の患者発生が、保健所に報告された。 激しいけいれんなど初期の劇症型患者の姿は社会に衝撃を与えた。後に判明した汚染源はチッソ水俣工場。海に流した排水にメチル水銀(有機水銀の一種)が含まれ、汚染された魚を食べた人が次々と病に倒れた。 「水俣病は今も終わっていない」。患者・被害者の多くがそう訴える。なぜ全面解決が難しいのか。それは、発生原因の断定から、後の補償・救済に至るまで、この国が経済優先の原理から抜け出せずにいるからではないだろうか。 公式確認から3年後の59年、熊本大の研究班は有機水銀説を発表した。厚生省(現厚生労働省)の調査会も同様の答申を出し、この時点で、原因が化学物質アセトアルデヒドの生成過程で水銀を触媒に使う同工場由来である疑いは強まっていた。経済優先し公害 命と健康犠牲に しかし、池田勇人通商産業相(当時)が「結論は早計」と反論し、閣議了解は見送られた。アセトアルデヒドは産業発展に欠かせない化学製品の原料。チッソは生産の最大手だった。 翌60年、首相となった池田氏は「所得倍増計画」を掲げた。成長路線をひた走る政治の下、国や県が排水規制に乗り出すことはなかった。工場排水が原因の公害病と国が認めたのは公式確認から12年もたった68年だった。 水俣市の胎児性水俣病患者の松永幸一郎さん(62)は63年に生まれた。排水が早く止まっていれば、被害はなかったといえる世代だ。「健常者として生まれていれ…この記事は有料記事です。残り1086文字(全文1916文字)【最新記事】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>