フィリピン逃亡30年毎日新聞 2026/5/26 07:01(最終更新 5/26 07:01) 有料記事 1400文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷逃避行 1995年2月、相原久仁雄(62)はマニラへと飛び立った。東京・蒲田で強盗傷害事件を起こし、身一つの逃避行だった。 それから30年、日本には戻らず、フィリピンでの生活を続けることになる。 「外を歩いている時、こっちを見ている人が全員敵に見えました」 渡航当初を、相原はそう振り返る。 後ろ暗さを抱え、「潜伏」の難しさを痛感する日々が始まった。【菅健吾】 事件を起こし、フィリピンに逃げる者たちが今も昔も絶えません。強盗傷害事件に関わったとして30年の年月を経て捕まった相原久仁雄被告(62)もその一人です。本人や関係者らへの取材から、そうした「逃亡」の実相を描きます。全5回の2回目です 逃亡理由だったはずの「我が子」 そもそも、事件直後に相原が逃げたのは、「生まれてくる我が子の顔を見たい」という思いゆえだった。 「だから最初は、目的を果たしたら日本へ戻って自首するつもりでした」 結果的にその日は最後まで来なかったが、妊娠中の婚約者は実際にいたという。 マニラ北西部にあるトンド地区。アジア最大級と言われたスラム街に暮らしていた。渡航後、相原はホテルに泊まりながら、そこに通った。 3カ月後、娘は無事生まれた。だが、程なく妻子とは別れたという。「すれ違いやけんかが絶えず、足が遠のいたんです」 やがて音信不通になり、相原は一人になった。す…この記事は有料記事です。残り828文字(全文1400文字)【前の記事】フィリピン逃亡30年 奪った金握り空港へ 拘置所からの独白関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>