韓国南西部沖に残る旧日本軍の戦跡 「皇国護持の大使命」とは

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ストーリー 福岡静哉毎日新聞 2026/5/24 14:00(最終更新 5/24 14:00) 有料記事 2028文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷ボートで龍出島(左奥)に向かう池鐘益記者(右端)=韓国南西部・全羅南道木浦市沖で2025年12月11日午前9時47分、福岡静哉撮影 2000を超える島々が点在する韓国南西部の全羅南道(チョルラナムド)沖合は古来、朝鮮半島への外敵の侵入を防ぐ要衝だった。豊臣秀吉軍が16世紀末に侵攻した際は、朝鮮王朝の将軍・李舜臣(イ・スンシン)率いる水軍がこの一帯で迎え撃った。今もその功績をたたえる銅像や石碑が各地に残る。 それから約350年後の太平洋戦争末期。朝鮮半島を植民地化した旧日本軍はここで本土決戦に向けた拠点作りを進めた。米軍の上陸を阻止するためだ。 南西部沖の島々で、旧日本軍が残した「戦争遺跡」を追い続けるジャーナリストがいる。韓国公共放送「KBS」の木浦(モッポ)放送局で働く池鐘益(ジ・ジョンイク)記者(46)だ。島の一つ、龍出島(ヨンチュルド)への2度目の取材に同行した。全2回の前編です。後編へのリンクは文末に島民は1人 のどかな島に残る異物 島への定期船はない。木浦港でチャーターしたボートに乗り込むと、池記者がほほえんだ。「日本人がこの島に入るのは、あなたが初めてかもしれません。戦後では」 この島には日本の敗戦まで多くの日本兵が潜んでいた可能性が高い。アジア太平洋の各地で敗色濃厚となった旧日本軍は、日本列島で米軍を迎え撃つ本土決戦計画を立案する。各地の海岸などに米軍の上陸を阻止するための拠点を作った。 植民地だった朝鮮半島も計画に組み込まれた。最前線は木浦から南へ約150キロの済州島(チェジュド)。ここを中心に一帯の南西部沖の島々でも軍用壕(ごう)が掘り進められた。 木浦港を出て約20分で龍出島の南側に着いた。周囲約2・4キロ。平地は少なく、大半は岩地か森林だった。海岸そばに古い民家があり、男性が姿を現した。「島民は私一人。約20年前から漁業を営んで暮らし、生活用品は船で陸地まで買いに行きます」。唯一の島民、金東吾(キム・ドンオ)さん(77)が話してくれた。 鳥のほかは動物の姿も見当たらない。81年前に本土決戦の前線だったとは思えない、のどかな光景だ。要塞化された朝鮮半島 戦争末期、朝鮮総督府は本土決戦への覚悟を朝鮮半島の人々にも求めた。沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘がほぼ終わった1945年6月22日。総督府の機関紙「毎日新報」は「沖縄の血の教訓を活用せよ」との見出しで、…この記事は有料記事です。残り1090文字(全文2028文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>