映画の推し事:見ているようで見ていない 監督が音声ガイドで気付いた思い込み

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「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社 音声ガイドとは、主に視覚障害がある人のために映像を説明したナレーションのこと。アプリを通して聞くことができます。音声ガイドで視覚から得る情報を補うことで、映画を鑑賞する時の補助ツールの役割を果たします。 「未来」の音声ガイド制作において、私(松田)の役割は、客観的に原稿の中身をチェックするサブ制作者でした。原稿を仕上げるために毎回実施するモニター検討会に、視覚障害のあるモニター2人と瀬々敬久監督が参加したので、監督に音声ガイドの側面から見た作品に関するインタビューをしました。Advertisement3人の女性たちの生き様 「未来」は湊かなえの小説の映画化。義理の父親に虐待され、学校でもいじめに遭う中学生の章子(山崎七海)、その母親の文乃(北川景子)、過去を暴かれ職を追われた、章子の元担任教師真唯子(黒島結菜)の3人の人生が交錯する。音だけで世界に触れる鑑賞法 松田 瀬々監督の作品はかなりの数がバリアフリー化されています。ご自身では、音声ガイドをどのように捉えていますか? 瀬々監督 非常に興味深いなと思っています。映画って「画(え)」を見て受け取るものですが、音だけで映画を感じているのを見て、「あ、伝わるんだ」と。 映画を作る動機って、世界を発見したいとか、世界に触れたいということがあるんだけど、映像なしで音だけで、それこそ世界に触れるという鑑賞が、非常に刺激的というか、新しい発見というか。引き出しではなく食器棚だった 松田 瀬々監督は、モニター会やナレーション収録の時に、目を閉じてお聞きになるんですよね。そして、気になることがあるとご意見をくださる。あれは、頭の中に浮かぶ映像と、撮ったものとの間に齟齬(そご)があったら発言する、という感じですか?「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社 例えば「未来」では、真唯子がアパートの隣人の原田の家を訪ねた時、真唯子があげた“ふしめん”が、「棚」に未開封のまま置かれているという音声ガイドになっていた。そこで監督が「棚だったっけ?」とおっしゃって、見直したんですよ。そしたら、やはり食器棚だった。監督としては、引き出しっぽいものをイメージされていたようで。 頭の中と自分の撮った画を比較しながら確認しているのかな?と思ったんです。■該当部分の音声ガイド。 <>内は本編の内容**********真唯子が一点を見つめる。原田が視線を追う。<原田があ、というような反応>食器棚の上に未開封のふしめん。********** 瀬々 そうですね。このシーンは思い違いをしていたんですが、そういうことは非常に多いんですよ。見ているようで、ちゃんと見てないっていうか(笑い)。 松田 撮ってる本人でも。 瀬々 そういうところがあるんじゃないですかね。映画を見る行為そのものも。ざっくり見てるというか。多分、自分の興味あるものしか見てないんでしょうね。音声ガイド制作ではそういうことにも気づかされますね。場面転換も音で知る 松田 視覚障害のあるモニターに、「場面転換がなんでわかるの?」と、聞いてましたよね? 答えを聞いて納得できましたか? 瀬々 ぼんやりとしか分からなかったですね。 松田 「音が変わるから」というような回答だったと思いますが。 瀬々 確かにそうなんだけど、それほどシャープに変わるわけじゃない。音が変わったことが画として浮かぶわけでしょ?「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社 松田 そうですね。前段で聞いて既に知っている音なら問題ないし、駅のホームの音だったら「あ、駅だな」と分かります。 ただ、音で「場面が変わった」ことは分かるのに、どう変わったか分からないこともある。そこを音声ガイドが埋める感じです。音声ガイドでもフォローされないと、モニターから質問が来ます。映画は4回作り直される 瀬々 つまり「見る」という行為の中で、映画が作られていくわけですね。単に受け身ではなくて、耳で聞くことで画が作られていく、カットがどんどん変わっていって。それが面白いと思った。 映画は、3回ぐらい作り直されると思っています。まずシナリオ、次に撮影で作る。でも撮影したものはシナリオ通りではないわけですよ。場所によっても、俳優さんによっても、イメージとちょっと違うものができていく。最後に編集とか音楽を入れる仕上げの作業でまた変わる。 視覚障害者の方々の中でも、また作り直されているなって感じがした。映画の「ナマモノ性」が、今、目の前で行われているというか。 松田 今回のモニター2人は、生まれた時から一度も視覚を使っていない。それもあって、音を受け取って頭の中でイメージを作ることが非常にうまかった。ガイド利用者を迷子にしないために 松田 一方で、2人が引っかかった場面がありました。文乃と真唯子が円形の野外劇場にいて、文乃が自分の後ろに立つ木を見上げ、しばらくして突然後ろに倒れ、背後にいた真唯子が慌てて抱きとめる。 最初の原稿だと、「(文乃が)背後の木を見上げる」とガイドされていました。この後に、真唯子が文乃を支えるのですが、2人の位置関係が分からなくて迷子になった、と。最初のガイドでは文乃が「振り返った」ことが分かりにくかったのかな、と推察しています。 モニターの2人は普段、背後の木に近づいたり触ったりするためには、振り返らないといけない。でも音から「見る」だけなら振り返らなくていい。「ザワザワ」という音で木を「見て」いるとしたら、目を向けなくても、耳を澄ませればいいので。 瀬々 あー、そうか。「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社 松田 だから、「振り返って」とはっきり入れる修正をしました。そうしたら、文乃が真唯子に背中を向けるイメージがスムーズにできたと言っていました。音では表現されていない部分で音声ガイドが失敗すると、画面の人物の位置関係が分からなくなる。つまり、音声ガイドのせいで映画を止めてしまうのです……。■該当部分の音声ガイド。 <>内は本編の内容**********木漏れ日の射す野外劇場。階段状の客席に真唯子。隣に、章子と文乃が座っている。<章子が写真を撮ってくると言ってその場を離れる>文乃が(章子を)目で追う。ぼんやり遠くを眺めて、立ち上がる。<文乃が真唯子に、樹木霊園に行く話をする>振り返って、木を見上げる(初稿では、「背後の木を見上げる」)「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社<真唯子と文乃のやり取り>(真唯子が)文乃の後ろに立つ。<文乃が涙を流して目を閉じる/キーンという音が聞こえる>(文乃の)体が後ろに倒れていく。真唯子が慌てて、抱きとめる。**********映像の中に入ってしまう人がいる 松田 生まれた時、もしくは乳幼児の時から視覚がない人たちの中には、映画の中に入って見ている、という人も多いです。 瀬々 VR(仮想現実)で見ているようなことですかね。 松田 晴眼者のイメージとしては、そうかもしれません。 瀬々 空間を認識しながら見ているってことなんですね。「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社 松田 普段の歩行でも、白杖(はくじょう)を使ったり、時には反響音を使ったりして、空間を認識しながら歩いていますからね。視覚障害者人口の統計では、大人になってから視力を失った人の方が圧倒的に多いのですが、彼らはスクリーンの中の映像というものを見たことがある。でも視覚を使ったことのない人たちは、スクリーンは知っているし、テレビが四角だと分かっていても、そこに映る映像は見たことがない。だから中に“入って”しまう人がいるのだと思います。自由でいいですよね。カメラの切り返しも混乱なく 松田 個人的には、文乃が赤いワンピースでホテルのベランダに立っていたシーンが印象に残っています。そこにいる理由は嫌なものなんですけど、映像として美しい。カットが変わったら、文乃の後ろからのショットになって、緑の森を背景に真っ赤なワンピースでまっすぐに立っているんですよね。 瀬々 視点が変わるからね。 松田 そのあたりも行ったり来たりで混乱しないかをモニターに確認したら、ちゃんとついてきていました。■該当部分の音声ガイド。 <>内は本編の内容**********<亜里沙と章子がホテルの庭から見上げる>ホテルのベランダに真っ赤なワンピースの女性が立っている。森を背景に、真っ赤なワンピースの後ろ姿(ここでカメラの視点が、部屋の中からベランダを見る位置に変わる)「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社見上げている2人(ここで再び、庭の2人の視点に戻る)片山が赤いワンピースの文乃を後ろから抱く。********** 瀬々 より孤独感が出ている場面ですね。 松田 起きていることはおぞましい。美しさとの距離があるだけに、痛々しいというか。かじる音でよみがえる名シーン 松田 劇中に映画「青春残酷物語」の一場面が出てきます。真唯子が映画好きの原田と一緒に見ている。どうしてあのシーンを選んだのでしょうか。■該当部分の音声ガイド。 <>内は本編の内容**********映画館。真唯子が座っている。「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社客がまばらな場内。スクリーンに、「青春残酷物語」。暗闇で、青りんごを丸かじりする男の横顔。<シャリ、シャリというりんごを食べる音>目元に光が当たっている。見入る真唯子。********** 瀬々 あれは映画史的には有名なショットなんですよ。原田の映画ファンぶりを見せるには、あのカットが一番いいなと思って。映像に込められた意図は 松田 もう1カ所、章子がスプレーを学校帰りにまくシーン。担当者の初稿では、どちらかというと「まき散らす動作」に重きを置いてたんですね。でも監督が「あのシーンでは、スプレー音と、引きの画で、奥に学校があるっていうのを撮ったんだよね」っておっしゃったんですよ。 瀬々 話の筋だけを追うのであれば、スプレーをまくことが分かれば、成立するわけですからね。そこを見たということですよね。 松田 初稿でもスプレーのまき方に、悔しい、悲しい、という気持ちが表れている。でも監督から話をお聞きして、異常なまき方は音で伝えつつ、章子の向こうに校舎があり、放課後の生徒たちの様子が見えている映像の意図に気づいた。本人の孤立感といったことですかね?ストーリーだけではないはず 瀬々 そうですね。他の生徒たちとの距離感というか。でもその意図は、視覚障害者の方にも伝わるんですかね。映像の中に入って体験的な見方をしているのであれば、距離感とか関係ないのかな、と思ってしまうけど。 松田 視覚障害のある友人に、映像演出を言葉にした音声ガイドは不要か?と質問したことがあります。「未来」©2026 映画「未来」製作委員会©湊かなえ/双葉社 ある映画で、歩いている人物を鶏小屋の金網越しに撮った場面があり、その撮り方も含めた音声ガイドをつけました。物語上、人物が歩いていくことが分かればいいシーンだったので、不要と感じる可能性もあるなと思ったからです。 友人の回答は、「人物が来た」と「鶏小屋の金網越しに見える」との違いを明確に説明はできないけど、面白い映像だと感じるし、この後何かあるのかなという感じが出るということでした。 映画はストーリーだけではなく、瀬々監督のチームが作った映像があって、それが個々の作品の大きな違いだと思う。そこはきちんと伝えたいのです。 瀬々 「青春残酷物語」のリンゴをかじるシーンを、大島渚監督は望遠レンズで撮っている。それは人物が際立ち、孤独感や葛藤が圧縮されたような画になるから。そういうことが今後、映画の音声ガイドにどう加味されていくのか、ということですね。 松田 はい。諦めずに書いていきたいと思っています。瀬々監督の話を聞いて 取材を終えて記事にまとめながら、「青春残酷物語」の青りんごをかじる音と望遠での撮影が意図したことと、「未来」での、章子がスプレーをまく音と遠くに学校が見えている構図は、同じものを目指していたと遅まきながら気づきました。孤立感や孤独感という、目に見えない「感情」を映像として見せるための技術が詰まっていたことがよく分かりました。 「寂しい」とか「孤独だ」というセリフはないのに、登場人物たちの感情が手に取るように伝わってくる。やはり映像を丁寧に描写するということは大事で、音声ガイドの技術が問われると身が引き締まる思いがしました。(松田高加子)