フィリピン逃亡30年毎日新聞 2026/5/27 07:00(最終更新 5/27 07:00) 有料記事 1702文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷汚職に交わりながら 相原久仁雄(62)の暮らしは「潜伏」として始まった。フィリピンの首都マニラの南にある街・パサイ。路地裏の部屋は、月の家賃が2000ペソ(当時の日本円で1万円ほど)だった。 熱帯気候なのに冷房はなく、表の路地では朝の5時からラジカセの爆音が響く。「バラックが建ち並ぶ、貧しいエリアだった」という。 人混みに紛れて暮らすうち、相原は度々、警察官との接点を持つことになる。 それは、社会の「腐敗」に身を置くような日々でもあった。【菅健吾】 事件を起こし、フィリピンに逃げる者たちが今も昔も絶えません。強盗傷害事件に関わったとして30年の年月を経て捕まった相原久仁雄被告(62)もその一人です。本人や関係者らへの取材から、そうした「逃亡」の実相を描きます。全5回の3回目です(4回目は28日午前7時公開) 突然の家宅捜索、なくなった腕時計 1990年代、フィリピンは発展の途上にあった。人々の暮らしが豊かになりつつある一方、「汚職」の文化が根強く残っていたという。 その末端で、相原は憂き目にも、いい目にも遭うこととなる。下町に暮らす日本人。そんな自らの立場が呼び込んだものでもあった。 フィリピンに来て1年余りがたった頃、数人の私服警察官が…この記事は有料記事です。残り1184文字(全文1702文字)【前の記事】早々に失った「自首する」覚悟 路地裏の潜伏先で/逃亡30年②関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>