映画の推し事:「名無し」山田太郎は「ジョーカー」のアーサーだ 疎外と断絶の果てに現れたアンチヒーロー

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「名無し」Ⓒ佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ Ⓒ2026 映画「名無し」製作委員会 個人的には、「性の劇薬」「悪い夏」に続く「城定秀夫ダークムービー・マスターピース3部作」の3本目となる「名無し」。敬愛する俳優・佐藤二朗が主演のみならず、原作・脚本としても参加しているだけで見逃すことはできない。 しかし真に驚くべきは本作が、「タクシードライバー」のトラビス・ビックルから「ジョーカー」のアーサー・フレックにいたる、ハリウッド・アンチヒーロームービーの要素を余すところなく取り込み、このジャンルが到達した極点に立っていることだ。「ジャパン・アンチヒーロームービー」の新たな地平を切り開く爆発力を備えているのだ。Advertisement英雄なき時代のリアリティー 英雄像の進化は、アキレウスに敗れることが明白でありながら戦場へ向かったギリシャ神話のヘクトール、町に残ってビランを迎え撃つ「真昼の決闘」のウィル・ケイン(ゲーリー・クーパー)、そして人類のために地球を守ろうと奮闘するスーパーマンに至る道をたどった。 彼らは「正義」という基準と、「自己犠牲」という手段を顕示していた。しかし社会の複雑化や価値観の多様化によって、人間の本質に対する懐疑が深まるにつれ、「英雄とは何か」に対する合意もまた困難になっていく。「名無し」Ⓒ佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ Ⓒ2026 映画「名無し」製作委員会 現代の観客はむしろ、怒りと孤独を抱えた「タクシードライバー」のトラビス・ビックル(ロバート・デ・ニーロ)、時には臆病な側面さえ露呈する「ジョーズ」のマーティン・ブロディ(ロイ・シャイダー)のような人物に、より強いリアリティーを感じるようになった。いわば「アンチヒーローの時代」である。 もっとも彼らの場合、典型的な英雄ではないにせよ、既存の価値観を転覆させて全く別の結末へ向かうわけではない。筆者は彼らを「ソフトコア型アンチヒーロー」と呼びたい。自己嫌悪と苦悩しつつ暴走 そこからさらに一歩進んで現れるのが、「ハードコア型アンチヒーロー」である。挫折した、あるいは抑圧された欲望を抱え込んだ存在だ。 彼らはビランとは違う。ビランは他者を傷つけ、権力を求める存在であり、その自己正当化には見ている側が違和感を覚えるほどの自己愛がある。さらに欲望そのものに対する異常な情熱があり、第三者が容易に感情移入できない。「名無し」Ⓒ佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ Ⓒ2026 映画「名無し」製作委員会 一方で「ハードコア型アンチヒーロー」は矛盾を抱え、自己愛どころか自己嫌悪の傾向が強い。時には自己破壊の段階にまで踏み込んでいる。加えて、絶えず人間的な苦悩を露呈することで、観客との感情的な接続を生み出す。 この型の進化は、2008年のリーマン・ショック以降の金融資本主義の肥大化、新自由主義の国家主導化、労働流動性の深化などとも連動している。 その代表作として挙げられるのが「ナイトクローラー」である。監督のダン・ギルロイは、主人公が独学で撮影、編集、警察無線傍受まで学び、特ダネ狙いのフリーカメラマンとして頂点へ駆け上がっていく姿に「道徳的な羅針盤を持たず、コンピューターの前で育った、知的だが方向を見失った若い世代」を投影した。つまり「成功のためにヒューマニティーを捨てる時代」を映す鏡のような存在なのだ。存在を主張する手段としての暴力 そしてその進化は、定型化したスーパーヒーロー像をねじ曲げた2本の話題作によって頂点を迎える。 ひとつは、後に最新作の「スーパーマン」を手掛けるジェームズ・ガンが製作を務めた「ブライトバーン/恐怖の拡散者」。 主人公ブランドン・ブライア(ジャクソン・A・ダン)は、深い孤独と断絶、そして存在への恐怖を抱えている。社会と調和できず、やがて人間嫌悪へと陥り、彼の超能力は恐るべき災厄をもたらすことになる。「名無し」Ⓒ佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ Ⓒ2026 映画「名無し」製作委員会 ただ本作には、ラストシーンに至るまで養母トーリ(エリザベス・バンクス)への期待を捨てきれない彼の痛ましさがあり、ビラン映画へと堕することがない。 もうひとつが、バットマンのビランに内面的アプローチを試み、ホアキン・フェニックスにオスカーの栄光をもたらした「ジョーカー」である。その核心は、ビランの誕生ではなく、「社会から消された一人の人間が、自らの存在を見いだしていく過程」にある。 ただしその過程は病的で、暴力的で、悲劇的である。アーサー・フレック(フェニックス)は、最初から狂気に満ちた悪人ではない。むしろ貧困の中で母親を介護しながら誠実に生きている。 にもかかわらず、社会から疎外され、嘲笑され、無視される。重要なのは、彼が単に不幸なのではなく、存在しないかのように扱われ続けていることだ。彼はやがて暴力によって「存在」を誇示し、社会に居場所を獲得する。ダイナミックな語りの構造 「名無し」の山田太郎は、まさにそうした「ハードコア型アンチヒーロー」の系譜の果てに現れた。特殊能力を持ちながら、人々から存在を認識されず、匿名性の極致のような名前を押し付けられて生きる姿は、現代社会における疎外そのものだ。 その特殊能力は、スーパーヒーローへの鍵ともなり得たはずだ。しかし彼は、その力によって世界との断絶を深め、暴走していく。 しかもハリウッドの諸作品が、アンチヒーロー誕生のプロセスを直線的に描くことに時間を費やしたのに対し、「名無し」は冒頭からまず、「山田太郎」という不可思議な力を持つアンチヒーローを提示してしまう。「名無し」Ⓒ佐藤二朗 永田諒 / ヒーローズ Ⓒ2026 映画「名無し」製作委員会 特殊能力がなぜ「世界と不和を生む火種」となってしまったのかを逆算的に暴き、再び現在へ回帰していく構造は実にダイナミックだ。81分間、観客に息をつく暇すら与えず、全力疾走を続けるのである。アジア随一の俳優層 佐藤二朗のほか、悲劇の引き金となる花子役のMEGUMI、そしてヒーローとして太郎と激突しながら意外な役どころも見せる国枝役、佐々木蔵之介らによる、火花散る演技対決。照夫役の丸山隆平も、俳優人生の円熟期を思わせる安定感ある演技で存在感を放っている。 「ハードコア型アンチヒーロー」の面白さを満喫しつつ、ふと思う。40〜50代の俳優層に、これほど豊かで華やかなキャラクターの人材を抱えている映画界が、日本以外のアジアに存在するだろうか。 枯れることのない泉のような、彼らの魅力を味わうために、今週もまた映画館へ向かおう。(洪相鉉)