毎日新聞 2026/6/1 07:45(最終更新 6/1 07:45) 有料記事 1822文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷東日本大震災後初めてカツオが水揚げされ活気づく気仙沼漁港=宮城県気仙沼市で2011年6月28日午前6時26分、丸山博撮影 2011年の5月上旬だった。東日本大震災の被災地の取材で、この日は宮城県気仙沼市の唐桑半島を回った。鮪立(しびたち)という集落では、津波で山肌に打ち上げられた小舟を漁師たちがかついで海に戻していた。私も手伝い、夕暮れが近づくと岸壁で車座になって酒になり、あれこれ話を聞いた。 当時、気仙沼の街の漁港関係者は復旧に一丸となっていた。生鮮カツオの水揚げ時期が近づいていたからだ。その前年まで水揚げ量は14年連続日本一。魚市場をはじめ加工・冷凍施設の多くが被災したが漁協の幹部は「生鮮カツオは気仙沼の象徴だ。これだけは何としてもやる」。カツオ一本釣りに必要な餌のイワシの業者、カツオ輸送に欠かせない氷の業者も「カツオが来るって聞けば気仙沼は必死になるのさ」と話し、網の修繕や機械の修理に打ち込んでいた。 気仙沼が全国屈指の水産都市になった原点に、紀州の漁師たちの存在がある。江戸時代の1675(延宝3)年、紀伊半島の南部、今の和歌山県新宮市は三輪崎の漁師たちが船団を組んでカツオの群れを追って北上し、鮪立に上陸。生きたイワシをまいてカツオの群れを引きつける一本釣り漁の原型を教え、現地の漁獲量が飛躍的に増えたとされる。水産資源学が専門で、50年にわたりカツオを研究する二平(にひら)章・日本カツオ文化研究所代表は「紀州の海の民は北海道から五島列島まで全国に『旅漁』をしていた。さまざまな漁法のルーツをたどると紀州に行き着く」と語る。 とはいえ外部の人や技の受容には、何らかの下地があったのではないか。…この記事は有料記事です。残り1174文字(全文1822文字)【最新記事】関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>