焼けた家や牛…災害の記憶、キャンドルに 普賢岳大火災流35年

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毎日新聞 2026/6/2 04:30(最終更新 6/2 04:30) 有料記事 1770文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷桃を栽培しているビニールハウスを前に笑顔の福島さん一家。中央の慎司さんの後ろが普賢岳の噴火で誕生した平成新山=長崎県南島原市深江町で2026年5月24日午後2時6分、久保田修寿撮影 死者・行方不明者計43人を出した長崎県の雲仙・普賢岳大火砕流から3日で35年になる。1990年11月に始まった噴火活動は約5年に及び、火砕流や土石流が山あいの集落を襲った。南島原市では91年9月の火砕流で自宅や牛舎などを失った畜産農家が桃農家として再出発。一家の孫は今年、家族から聞いた噴火災害の記憶をキャンドルに描いた。6月3日に島原市の雲仙岳災害記念館で開かれる追悼行事で点灯される。「受け継いだ土地でもう一度農業を」 5月下旬、普賢岳のふもと、南島原市深江町の自宅倉庫で福島慎司さん(48)は妻小夜子さん(48)、母文子さん(76)とハウス栽培した桃「ちよひめ」1500玉の初出荷に追われていた。桃を包む白いネット状の「フルーツキャップ」と出荷用の段ボール箱は前日に慎司さんの長男で小学6年の雄飛さん(11)と次男で4年の岳さん(9)が仕分けをして組み立てたものだ。 福島家は代々、深江で畜産や葉タバコ栽培を手掛ける農家だったが噴火災害で暮らしは一変した。 91年6月3日の大火砕流後、避難生活が始まった。自宅周辺にあった牛舎への立ち入りは制限され、30頭近くの牛は出荷できなかった。牛が死なないように父敏郎さん(78)と文子さんが1日1回、片道1時間かけて餌やりに通った。山で異音がしないかおびえながらの日々だったという。 6月8日には更に大規模な火砕流が発生。当時、中学2年生だった慎司さんは、避難先の公民館2階から山全体が…この記事は有料記事です。残り1152文字(全文1770文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>