InMyLife・旅の途中で:「どうすっかな、これから」 岩井俊二監督が海辺でつぶやいた日

Wait 5 sec.

「Love Letter」撮影時の岩井俊二さん=本人提供 「せっかちで待てない性格」の若き岩井俊二監督は、「映像ディレクター」の名刺を手に、自ら撮った8ミリ映像をあちこちに売り込んだ。 カラオケ映像からミュージックビデオまで幅広く仕事を得る中、さまざまな出会いと試練が岩井青年を待ち受けていた。前編:化学反応起きた 岩井俊二さんを映画世界へ突き動かしたざわめきなんとなく食べられるように <映像ディレクターとして駆け出して間もなく、桑田佳祐さんのソロシングル「いつか何処(どこ)かで(I FEEL THE ECHO)」(1988年)のミュージックビデオ(MV)を手掛ける。その現場で後に多くの仕事を共にする音楽プロデューサー、小林武史さんと出会った> レコーディングスタジオに呼ばれて、触ったこともないようなプロの業務用カメラを持たされてメーキングビデオを撮ることになり、それがMVに発展していきました。(編曲などを担当した)小林さんは当時まだ20代で、桑田さんより年下。でも、現場では小林さんがいろんなことを決めて指示もして「若いのにすごいな」って見ていました。 その後、MVの依頼を受けたり、他の分野の仕事もしたりしながら、映像の世界でなんとなく食べていけるようになりました。 <しかし、職場環境は過酷だった> 当時はパワハラが横行しているわけですよ。アシスタントが普通に殴られている。僕はさすがに殴られたことはないけれど、一部の先輩スタッフからたくさんののしられ、口汚く言われました。「ちょっとやっていけないなあ」って。 ある日の夜、言葉に出してみようと思って、独り言で「辞めようかな」って言ってみたんです。そしたら自分の精神世界で思いがけないことが起きた。言った直後、真っ暗闇だったんです。「あ、俺って辞めたら何もないんだ」って。それまでにも分岐点はあったと思いますが、あんな心境になったのは…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】化学反応起きた 岩井俊二さんを映画世界へ突き動かしたざわめき関連記事