半島の現場から:「惨禍伝える力に」 ソウル近郊の「本土決戦」痕跡が果たす役割

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ソウル郊外の山腹にある壕。旧日本軍が本土決戦に備えて、武器・弾薬の製造拠点を移設するために掘ったとみられる=韓国北西部・仁川市富平区で2026年10月8日、福岡静哉撮影 旧日本軍は戦前、植民地とした朝鮮半島の各地に軍事拠点を構築した。ソウル郊外のある場所には、「本土決戦」に備えた痕跡が今も残る。韓国では近年、こうした「戦争遺跡」を発掘・保存する取り組みが活発化している。 仁川(インチョン)市富平(プピョン)区はソウルのベッドタウンで、駅の近くには高層マンションが建ち並ぶ。そのはざまに、古びた煙突や赤茶けた屋根をさらした倉庫が建ち並ぶ広大な敷地がある。 「戦前に日本軍が作った『仁川陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)』の建物です」。地域の歴史に詳しい金奎赫(キムギュヒョク)さん(42)が現地を案内してくれた。金さんは郷土史の調査などをする政府傘下の非営利法人「富平文化院」で文化事業課長を務める。 「造兵廠」とは武器・弾薬などを製造する軍需工場のことだ。旧日本軍は1937年の日中戦争の勃発を受け、武器・弾薬の増産を急いだ。39年に仁川陸軍造兵廠の建設に着手し、41年に完成した。その規模は当時、朝鮮半島で最大だった。製造された機関銃、小銃や弾丸、軍刀などの武器は次々と前線に送られた。日本の建設業者の名が地名に 「実はこの一帯は以前、…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】ソウルと台北の「二つの総督府」 対照的な運命の根にあるもの関連記事