「本土は知らん顔」移設容認で辞任、決断後も続いた比嘉氏の苦悩

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比嘉鉄也さん 今に続く米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への県内移設を巡る混迷。始まりとなったのが、建設の是非を問う市民投票(1997年12月21日)で反対が賛成を上回ったにもかかわらず、自らの辞任と引き換えに受け入れを表明した当時の名護市長、比嘉鉄也さんの「決断」だった。 経済振興を期待して新たな基地を受け入れるか、基地のない沖縄か――。親と子、兄弟でも口をきかなくなるほど市民を二分した市民投票は、反対52・86%が賛成45・33%を上回ったが、その差は2372票の僅差。比嘉さんは悩んだ末、3日後の24日に上京。首相官邸で橋本龍太郎首相(当時)に「受け入れと同時に政治生命を終わらせる」と告げ、突然の移設容認に沖縄は大騒ぎとなった。 翌25日に沖縄で記者会見した比嘉さんは…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。