利用者と言葉を交わす「Rashiku」開設者の久保良太さん=青森県弘前市で2026年7月23日、西夏生撮影 働くことは尊厳そのもののはず。生きづらさを抱え、働きたくても働けない人が社会とつながれる居場所を作る――。青森県弘前(ひろさき)市で包装用品などを製造、販売する小林紙工の久保良太社長(49)が決心したのは、2023年10月だった。全2回の後編です。前編はこちら 支援制度のはざまでも自分らしく働ける 「居場所を見つけた」手探りのスタートから2年で赤字体質脱却 念頭にあったのは、開所時間内であればいつでも好きなタイミングで働けるというもの。途中で休むのも自由だ。 経営者仲間は心配した。「仕事を用意して人が来なければ、どうするの?」。それでも、久保さんは覚悟を決めていた。「人が集まらなければ、小林紙工の社員で用意した仕事をこなすしかない」 人件費を考えると、少しでも安い物件を探す必要があった。一方で、利用者が車で通えるよう、広い駐車場もほしい。時間を見つけては市内を回った。3カ月がたったころ、専門学校の空き教室を割安で借りることができた。 24年4月、行政の支援制度のはざまにいる人が働ける場が誕生した。名前は「Rashiku(らしく)」。「誰もが自分らしく」という意味を込めた。行政の制度に縛られないために、補助金には頼らなかった。 「最初は十数人ほどかな」と利用者を募ると、いきなり50人ほどが登録した。開始時間の午前10時には利用者の列ができた。「こんなにたくさんの人が居場所を必要としているのか」。2カ月後には登録者は100人を超えた。 最初は手探りだった。作業に不慣れな人も多く、お盆に仏壇などにつるす紙飾りを作る仕事では、半分が作り直しになることも。赤字となったが、久保さんは「仕方がない」と見守った。 知恵を絞ったのが、いかに採算を取るかだ。働き方が自由なだけに、日々の仕事量の調節は簡単ではない。県外などに積極的に営業をかけ、年間を通して納品できる大口の注文を引き受けた。 次第に複雑な仕事を任せられるようになったり、機械にできない単価の高い仕事が舞い込んだりして、開業から約2年後には赤字体質から脱した。職場にも家庭にも居場所なく これまで約30人が一般企業に就職するなど、「らしく」に通って人生が変わった人もいる。その一人、精密機器メーカーの期間社員として採用された工藤春乃さん(36)=仮名=は「私にとってシェルターでした」と振り返る。 子ど…Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】支援制度のはざまでも自分らしく働ける 「居場所を見つけた」関連記事