「北の守り」「南西シフト」… 自衛隊戦車の変遷と現在地

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毎日新聞 2026/5/21 15:01(最終更新 5/21 15:01) 有料記事 1524文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷富士総合火力演習で射撃する「10式戦車」=静岡県の東富士演習場で2025年6月8日午前11時6分、西夏生撮影 陸上自衛隊の日出生台(ひじゅうだい)演習場(大分県)で戦車の射撃訓練中に「10式戦車」の砲弾が破裂し、隊員4人が死傷した事故は、21日で発生から1カ月となった。 事故を巡り改めてクローズアップされたのが、戦車の存在だ。かつては「陸上戦闘の花形」と呼ばれた。 日本では東西冷戦の終結をきっかけに「不要論」が浮上。自衛隊の保有車両数は減少が続く。ただ、近年は島しょ防衛における「最後の砦(とりで)」とも言われる。 <関連記事>  陸自戦車の4人死傷事故1カ月 調査は長期化か 続く訓練自粛 日本の地形に適応 高い火力と分厚い装甲、無限軌道で攻撃と防御の両面に優れた戦車は、第一次世界大戦以降、各国に導入された。 自衛隊は1954年の発足当初、戦後進駐した米軍から供与された欧米製戦車を使用していた。だが山地が多く、道幅が狭い日本の地形に大型で高重量の戦車は適さず、国産の「61式戦車」を開発。名称は制式採用された西暦に由来する。 全長8・19メートル、重量35トンというサイズは61年当時、欧米や旧ソ連の戦車に比べて小ぶりで、車高が低く機動性に優れた。その半面、火力や装甲は劣った。 冷戦期に戦車の主な役割は、旧ソ連の侵攻を警戒する「北の守り」だった。 自衛隊は各地の戦車部隊のうち、北海道の部隊を増強。同時に、旧ソ連の戦車に対抗できる国産戦車の開発を続けた。 74年に火力と砲弾の命中精度を向上させた「74式戦車」を、90年には約50トンと高重量を誇り、砲弾の自動装塡(そうてん)機能を備えた「90式戦車」を制式採用し、90年度に自衛隊の戦車は約1200両に上った。冷戦終結が岐路に 「ソ連の脅威がなくなる中で『戦車をどこで戦わせるんだ』と言われ…この記事は有料記事です。残り801文字(全文1524文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>