「霧のごとく」© 2025 Mandarin Vision Co,, Ltd. All Rights Reserved 台湾では1949年から87年まで戒厳令が続いた。国民党政権による反体制派の無差別逮捕や言論弾圧は「白色テロ」と呼ばれ、何千人もが犠牲になったという。「霧のごとく」はそんな過酷な時代を描いた作品だ。必死で生きる市井の人々の姿に、1人の名もない日本人を思い出した。三つの言語が複雑な歴史を表す 民国42年(53年)の台湾。少女・阿月(アグエー)の兄・育雲(ユーユン)は、「白色テロ」によって反政府分子と見なされ処刑される。阿月は遺体を引き取るため、故郷から遠い台北に赴く。しかし、高額な引き取り手数料が要ると知って困惑する。怪しい男にだまされて遊郭に売られそうになるが、人力車の車夫・趙公道(ザオ・ゴンダオ)に救われる。公道は中国・広東出身で、元は国民党軍の兵士だった。Advertisement「霧のごとく」© 2025 Mandarin Vision Co,, Ltd. All Rights Reserved まず印象的なのが、登場人物たちが使う言葉だ。台湾語や中国語、日本語が混在している。台湾は日清戦争で勝った日本によって、1895年から第二次世界大戦終結まで統治されていた。日本の敗戦後は、中国から蔣介石率いる国民党軍が渡ってきて支配下に置かれる。三つの言語は台湾の複雑な歴史を象徴していて、痛ましい痕跡を見る思いがした。 また、育雲の叔父まで厳しく尋問された話には、家族や親類まで巻き込んだ当時の弾圧のすさまじさが垣間見える。一方で画面には、のほほんとした空気が漂い、とぼけた音楽に心が和む。忘れてはならない“二つのしずく” 公道は故郷に帰れず、その日暮らしをしていたが、兄を思う阿月に心動かされる。彼女のために、遺体の引き取り料を工面しようとする。そんな彼を警察が訪ねて来る。公道の元上官も反政府分子として処刑されていた。警察は彼にも疑いの目を向け、兵士仲間の居場所を教えろと脅かす。そして、公道と阿月は思いもよらない事態に巻き込まれる。「霧のごとく」© 2025 Mandarin Vision Co,, Ltd. All Rights Reserved さすが鬼才、チェン・ユーシュン監督。重いテーマを描いても、ユーモアを忘れず巧みにエンターテインメントを盛り込む。秀逸なのが、チェン監督ならではのファンタジー要素だ。 本作のタイトルにもなっている、育雲が書き残した童話「霧のごとく」が胸を打つ。主人公は2滴のしずく。ひとつは雲になり、もうひとつは霧になる。霧は自由に空を飛ぶ雲になれないことを悔しがるが、やがて二つとも消えていく。 志半ばで命を奪われた育雲と、霧が重なる。しかし物語には「雲も霧も、所詮他者の目に映る景色に過ぎない」と記されていた。 チェン監督は白色テロの犠牲者を雲と霧になぞらえて、彼らを忘れてはならない、という。「霧のごとく」© 2025 Mandarin Vision Co,, Ltd. All Rights Reserved 「その苦しみがあったからこそ、今の私たちが形づくられ、今日の自由と人権のもとで、過去をあるがままに見つめることができる」と説く。 監督の思いが込められた言葉がエンドロールに映し出された時、ある少女の記憶がよみがえった。戦時中の女学生が日記に残した希望 30年以上も前、直木賞作家の出久根達郎が、地方紙に書いていた話に衝撃を受けた。 当時古書店主だった出久根は、古いお屋敷から払い下げられた本の中に日記帳を見つける。第二次世界大戦中、まき子さんという女学生が書いたものだった。一部が紹介されていて、次の記述を読んだとき心が震えた。「霧のごとく」© 2025 Mandarin Vision Co,, Ltd. All Rights Reserved 「今の時代に生きる私達は(中略)ちょっと考えると大変不幸で、なんという時に生まれあわせたのかと思う。しかしよく考えると、その不幸には希望がある。大なる幸福が待っている。私たちが今を耐え忍んだならば、次に生まれくる国民は幸福になる」 日記にまき子さんは19歳と記されていた。昔は数え年だったから、満では18歳だったのかもしれない。いまで言えば高校3年生だ。 当時、私はまき子さんと変わらない年だった。その年齢で、しかも明日をも知れぬ身なのに次世代の幸福を祈っていることにただ驚き、そして深く打たれた。「次に生まれくる国民」とは、もちろん私たちのことだ。「霧のごとく」© 2025 Mandarin Vision Co,, Ltd. All Rights Reserved 日記は昭和20(45)年3月9日で突然終わっていたという。翌10日、東京は大空襲に見舞われている。遺産を次世代に守り継ぐには 私は昭和46(71)年生まれだ。当時すでに戦争は遠い過去になり、当たり前のように自由と平和を享受してきた。しかしそれは、白色テロと同様に時代の犠牲になった、無数の「まき子さん」によって与えられた遺産なのだと痛感した。その上にあぐらをかいて生きてきた自分が、恥ずかしくなった。 あれほど感銘を受けたまき子さんのことも、時と共に心から消えていた。まさに霧のごとくに。まき子さんは日記の中で嘆いている。「霧のごとく」© 2025 Mandarin Vision Co,, Ltd. All Rights Reserved 「私のような平凡な十九歳は死んでも誰も思い出してくれない」 いま世界中で戦火が起こり、日本でも平和が脅かされている。育雲は阿月と最後に会った時、こう言って励ました。「つらくて耐えられないときは時計を早巻きにしろ。民国44年、民国49年、民国59年、民国69年。未来を思い描け」 令和10年、令和15年、令和20年、令和30年……。どのような状況であっても未来に希望を見いだし、平和というかけがえのない遺産を次の世代のために守り継ぐ。これは私たちの義務ではないだろうか。そのために、何ができるか考えたい。いつも、まき子さんを思い出しながら。【早坂あゆみ】