毎日新聞 2026/7/14 08:45(最終更新 7/14 08:45) 有料記事 1592文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷「詳細な内容にたまげました」と話す多田仁さん。旧愛媛県菊間町の防空監視哨の関連史料をそのままの形で残すことにした=松山市で2026年7月12日、松倉展人撮影 民間の郷土史研究会「伊予史談会」(松山市)常任委員、多田仁(じん)さん(59)は5月、「愛媛県今治市菊間町における防空監視哨(かんししょう)の関連史料」(えひめ記録史料を守る会刊)を著した。戦時中の「民間防空」で、青年らが24時間態勢で空襲監視を続けた防空監視哨について、愛媛県・旧菊間町(現・今治市菊間町)が一括して残した文書を翻刻(内容をそのままに活字化して新たに出版)した。空襲に加え、終戦間際に「機雷監視哨」を設けて投下機雷の監視に当たった人々の姿が浮かび上がる。 戦時中、愛媛県内には最終的に32カ所の防空監視哨があったと考えられ、多田さんは10年以上をかけて全てを確認、踏査してきた。その過程で2024年、旧菊間町の3冊の行政文書「防空監視哨関係」「収支計算簿」「領収証綴(つづり)」を確認することができた。いずれも特産の菊間瓦など窯業の関連史料とともに、今治市の施設「瓦のふるさと公園かわら館」に残されていた。 多田さんによると、防空監視哨に関する行政文書が一括して残る例は茨城、長野、静岡県内などの数件程度。旧菊間町の場合、1943(昭和18)年、山上に監視哨の位置を決めたことに始まり、十代後半の男性を中心とした哨員候補者の身上調書▽先行監視哨の庁舎構造など視察報告▽哨員の訓練要領▽食費精算書――など一切の文書をとじ込んでいる。「全てをありのままに残すべき史料」と考え、個人情報などを除いた翻刻を出すことにした。 愛媛県内の他地域で多田さんが聞き取り調査した例では「関係資料は敗戦時、全て燃やした」との証言もあったが、旧菊間町の場合は戦時中の記録だけでなく、工事費、電気料金、国民学校(当時の小学校)長あての勤労奉仕謝礼金などの精算書、領収証などを46(昭和21)年7月分まで残していた。「投下機雷監視」…この記事は有料記事です。残り829文字(全文1592文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>