愛があれば… 加藤登紀子さんが受け継ぐ美輪明宏さんの熱情

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毎日新聞 2026/7/18 09:00(最終更新 7/18 09:00) 有料記事 1709文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷加藤登紀子さん(左)と美輪明宏さん=東京都千代田区の毎日新聞本社で2017年8月8日、外部カメラマン・御堂乗義さん撮影 歌手で俳優の美輪明宏さんが6月20日、老衰のため91歳で亡くなりました。美輪さんと親交のあった歌手の加藤登紀子さんに、毎日新聞へ追悼文を寄せてもらいました。着流しのりりしい美しさ 奮い立たせてくれる歌。 忘れもしない1964年、まだ20歳だった私が、初めての日本シャンソンコンクールに出場し、エディット・ピアフの「メア・キュルパ」(私の罪)を歌って4位になった年の秋、ヤマハホールで開かれた美輪明宏さん(当時は丸山明宏さん)のコンサートを見に行った。 それは彼が「ヨイトマケの唄」を初めて披露した伝説のステージだ。 着流しの着物で現れた丸山さんのりりしい美しさはもちろん、彼の歌うシャンソンの日本語訳が、いちいち新鮮だった。 当時、岸洋子さんが歌って大ヒット中だった「恋心」という歌。 「恋は不思議ね 消えたはずの灰の中から 何故(なぜ)に燃える」と歌われていたシャンソンを、彼はいきなり「涙の雨に ずぶ濡れになって」と歌ったのだ。今もそのシーンが焼き付いているくらい、私には電撃的だった。 「こんな風に思い切った日本語訳を作って歌ってもいいのか!」と驚いた。 「それなら、私にも出来ることがあるかも」と勇気100倍。 その後、1年シャンソンを勉強し、東京・銀座にあった日本初のシャンソニエ「銀巴里(ぱり)」でも練習で歌わせてもらって、「もう一度シャンソンコンクールに出よう」と私を奮い立たせたのは、この時の美輪明宏さんのステージだった、と言い切ってもいい。 65年、第2回シャンソンコンクールに優勝した時も、私は美輪明宏さんのコンサートを見に行き、終わった時に楽屋に行ってあいさつをした。 「あなたの歌、聞いてま…この記事は有料記事です。残り1001文字(全文1709文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>