毎日新聞 2026/7/14 13:29(最終更新 7/14 13:29) 676文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷戦後生まれの遺族として、親戚から伝え聞いた話を基に講話する南マサイさん=新潟県長岡市で、内藤陽撮影 長岡戦災資料館(新潟県長岡市坂之上町3)で12日、長岡空襲の犠牲者をしのぶ「長岡空襲殉難者追慕の集い」があった。年々体験者が減るなか、今回は空襲体験のない戦後生まれの遺族による講話を初めて試みたが、空襲の実相を次世代に継承することの難しさをうかがわせるものとなった。【内藤陽】 集いは今年で17回目。5月に同所へ移転・開館した新資料館では初開催となった。 磯田達伸市長は「戦後81年がたち、長岡空襲を直接体験した方でなくても、親戚やその友達から(空襲体験を)聞いた方でも声を上げる、そういう段階に来ている。(体験者の)周りの人の話も意義があるので、今後も思いを伝えていってほしい」とあいさつした。Advertisement 講話では「家族を偲(しの)んで」と題し、空襲で親族5人を亡くした同市中島の南マサイさん(76)が務めた。 亡くなったのは、防空壕(ごう)のあった神明神社に避難した南さんの義父の叔母一家、当時0~39歳の5人。 南さんは「我が家に集まった親戚は、ある程度の高齢になってからやっと長岡空襲の話をするようになった」とする一方、「疎開先に荷物を運んだことや栖吉川の田んぼの方に逃げて助かったことなどをさらっと話したくらいで、つらかった体験やそれ以上の話は聞かされていません」と語り、市内にある慰霊碑の建立経緯などについて話した。歌で犠牲者を追慕する長岡少年少女合唱団=新潟県長岡市で、内藤陽撮影 参加者約100人は最後に、長岡少年少女合唱団と「ふるさと」を合唱し犠牲者をしのんだ。最前列で講話を聞いていた長岡市立南中2年の鈴木陽太さん(13)は「空襲の怖さは分からないけど、平和の大切さや郷土史の勉強にはなりました」と話した。あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>