顔の見える報道続け50年 新聞報道に変革もたらした「記者の目」

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毎日新聞 2026/7/17 07:00(最終更新 7/17 07:00) 有料記事 3401文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷C1・記者の目コラージュ.eps 毎日新聞の「記者の目」は、1976年7月の誕生から50年を迎えた。 記者が自身の問題意識や見解を述べるスタイルは当時としては異色で、日本の新聞で署名記事が広がる先駆け的な存在だった。一方で今、個人がSNSで意見を発信することが当たり前になり、メディアは大きな変革期を迎えている。 これからの「記者の目」はどうあるべきか。評論家で専修大教授の武田徹さん、元毎日新聞記者で同志社大特別客員教授の元村有希子さんが語り合った。白熱した議論を2回に分けて紹介する。【構成・斎藤良太】前後編の前編です。後編 SNS時代のあるべき姿は 「記者の目」誕生50年 今後の課題(18日7時公開予定)新聞の署名記事化の流れを作る ――最初の記事「ロッキード逃れ 露骨」が掲載されたのは76年7月6日。筆者は当時、政治部記者だった岩見隆夫氏=メモ①=でした。この3週間後に田中角栄元首相が東京地検に逮捕されるなど、ロッキード事件=メモ②=で日本が大揺れの時でした。 武田 紙面に「正常取材だと確証が得られず、これまで記事にできなかったニュース素材でまとめた」との趣旨説明が載っていたのが気になりました。これでは「裏取りできない、社として責任の取れない記事の置き場」みたいな印象を与えかねません。 日本の新聞は第二次世界大戦後、客観中立報道を一つの理念にしてきました。本当に客観的な事実を書くだけなら、誰が書いても同じになります。しかし、80年代に入ると偏向報道や事件報道での人権侵害などが問題になり、「そもそも客観報道とは何か」という論争がメディア内で起きました。そうした動きに先駆けて「この事実を見た、この私」による一人称的な記事がやっぱり大事だ、という気持ちが育ちつつあった状況の中で「記者の目」は生まれたのではないでしょうか。 元村 岩見さんは当時既にエース記者で、ロッキード事件の取材班のキャップでした。「裏が取れない」と一応は謙遜しつつ、生々しさをあえて出すという狙いがあったのかもしれません。 武田 「記者の目」がきっかけになって、日本で新聞の署名記事化の動きが大きく進んだ面もあると思います。毎日新聞も96年に全国紙で初めて全記事を原則署名化しました。ただし、実は一般記事の方は署名化しても文体は変わらず、一人称で書くには至っていませんが。 元村 そんな時代だったからこそ「記者の目」を始めた当初は、何かを飛び越えるという覚悟が必要だったと想像します。その後の世代にあたる私は、(一般記事では)「客観中立報道たれ」と金科玉条的に言われることに内心、違和感も抱いていました。どのテーマを選ぶか、誰に取材をするか、どう描くか、コメントを誰に取るか、といったところに記者の価値観がにじみ出てくるわけですから。今なら炎上必至?「茶髪・ピアス論争」 ――「飛び越えた記者の目」の例として、中高生の茶髪やピアスが社会問題化していた96年に、賛否を巡り記者が激論を交わした「茶髪・ピアス論争」=メモ③=が当てはまるかもしれませんね。大きな反響がありました。「茶髪・ピアス論争」の主な記事「茶髪、ピアス大いに結構」「茶髪、ピアス許せない」「〝茶髪記者〟の言い分」「『角刈り』記者の思い」 元村 非常に主観的な主張をしている記事もありましたが、それでも面白が…この記事は有料記事です。残り2035文字(全文3401文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>