戦争を体験していない語り部だからこそ、戦後生まれの世代と同じ立場・目線で向き合い、共に考えることができると話す上野さん(右)と豊田さん=東京都千代田区で、東京都立大・小野将京撮影 東京都千代田区の九段下にある昭和館は、昭和の時代に国民が体験した戦争の記憶を継承し、国民のくらしを伝える国立の施設だ。戦中・戦後の国民生活に関する歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、その労苦を次世代に伝えることを役割としている。戦争経験者が減少して記憶の継承が危うくなる中、同館では、2016年から戦争を体験していない世代が戦中・戦後の国民生活の労苦を語り継ぐ、「次世代の語り部」の育成事業をスタートした。語り部たちの取り組みや思いを取材した。【早稲田大・佐藤志保(キャンパる編集部)】3年間の研修を積んで原稿作成 「次世代の語り部」は16~18年の3年間、募集が行われ、のべ100人の応募者から選ばれた1~3期生計18人が現在、語り部として活動している。しかし、応募後すぐに語り部として活動できたわけではない。30代から70代まで、幅広い世代の18人は3年間、受講生として毎月1回の研修を重ねた。研修では、基礎知識の学習、戦中・戦後の労苦を体験した方との交流に加え、語りの技術の習得にも取り組んだという。Advertisement 研修を終えた語り部たちは、昭和館を訪れた来館者を相手に、当時の過酷な国民生活を、資料を交えて語りかける講話を行っている。定期講話は原則的に毎月1回、年12回行われており、語り部1人あたり年に1~2回のペースで講話を行っているが、これにとどまらず、小中学校への派遣講話なども行っている。年間6万人以上が来館する昭和館。常設展示のほかに年2回、春と夏に特別企画展を実施するなど、戦争の記憶を伝える工夫を凝らしている=東京都千代田区で、佐藤志保撮影 この講話で読まれる原稿も、語り部それぞれが研修期間に作成したものだ。昭和館が展示している「家族の別れ」「子どもたちの戦後」など、戦中・戦後についての展示テーマなどから自身が興味を持ったものを選び、関連する資料を探して講話1回分の30分ほどの原稿を作った。 語り部たちは、事実関係や言葉のチョイスについて、原稿を作っている段階で昭和館のスタッフや受講生同士で意見を交換し合い、原稿をブラッシュアップしていった。最終的には大学の教授など専門家による審査会を経て、ようやく語り部としての活動が始められたのだ。戦災孤児の苦悩を語る 実際に語り部として活動している上野美恵さん(63)と豊田梓さん(47)のお二人に、その動機と活動への思いを伺った。「講話を聴いた後に、ささいなことでもいいから友達や家族と戦争について話をしてみてほしい」と語る上野さん=東京都千代田区で、東京都立大・小野将京撮影 神奈川県在住の上野さんは、普段は外国人に日本語を教えるボランティアを務める。18年に鹿児島県にある知覧特攻平和会館を訪れた際、語り部の方が特攻隊員として亡くなった方々の体験をとつとつと伝える姿が胸に残ったという。その経験が背中を押したこともあり、同年に語り部に応募。コロナ禍による活動制限を乗り越えて23年から3期生として活動を始めた。 上野さんは戦争によって親や保護者を失った戦災孤児をテーマに講話を行う。終戦後、全国には国の調べで12万人以上もの戦災孤児がいた。しかし、当事者が偏見やいじめの対象になることを恐れ、その苦悩が一般に語られることは少なかったという。 講話では、神戸大空襲で両親を亡くし、10歳の時に孤児になった山田清一郎さん(故人)について話している。戦災孤児の存在は知っていたが、孤児が具体的にどのような経験をしたのか知らなかったという上野さん。昭和館が制作した証言映像から、2度の空襲で両親を相次いで失い孤児になった山田さんを知り、衝撃を受けた。山田さんは収容施設を転々とするうちに友達も亡くし、多くの人から人間として扱われない生活を送ったという。 しかし取材を始めた時期がコロナ禍と重なったことや、体調面の事情から生前の山田さんには直接会って話を聞くことができず、電話での取材や山田さんの著書、資料をもとに原稿を書き上げた。戦時中、おなかをすかせた子どもたちが食べていたという胃腸薬=昭和館提供家族をつないだ軍事郵便 もう一人、埼玉県在住で普段はペットシッターとして働く豊田さんは16年に語り部に応募し、21年から1期生として語り部の活動を始めた。「君を忘れない」という戦争映画を見たことをきっかけに戦争に興味を持ち、戦争について調べ、現地を訪れるようになったという豊田さん。次第に自らも戦争を伝えていきたいと思い始めた。しかし語り部は戦争体験者がなるものだという葛藤もあり、戦争を語る方法はないかと模索していた途中に、この公募を知ったという。「まずは戦争に興味を持ち、戦争は遠いものではなく身近な生活の中にも影響が出てくるということを感じてもらいたい」と話す豊田さん=東京都千代田区で、東京都立大・小野将京撮影 豊田さんは「生活の中にあった戦争を分かりやすく伝えていきたい」という思いから、研修中に軍事郵便をテーマに選び、原稿を作った。軍事郵便とは、戦地に出征した兵士と残された家族を結ぶ唯一の通信手段であり、互いの安否や故郷への思いなどをやり取りした手紙やはがきのことだ。今はSNSや電話を通してやり取りができる世の中だが、「戦争中はお互いに生きているのか死んでいるのかわからないという状況で、どのようなやり取りやつながりがあったのか興味を持った」のだという。 講話では、昭和館所蔵の資料をもとに、37歳で日中戦争に出征した吉田貞治さんと、6人の子を育てながら帰りを待った静岡県在住の妻・とらさんとの軍事郵便のやりとりについて話している。兵士にあこがれ、戦争ごっこをする子どもたち=小林大二・小林ジュディ提供、昭和館蔵強みは多角的、客観的に伝えられること 語りについてどんな点を重視しているか、お二人に尋ねてみた。上野さんは「事実だけではなく、その方が経験した悲しみや苦しみを想像しながら読むようにしている」という。「私には、肉親を亡くした戦災孤児の方の気持ちを完全に理解することはできない。だから講話の前日には、山田さんの著書を読んで体験者の方の気持ちを想像するようにしています」 また上野さんは言葉だけでなく、プロジェクターを使ってスライドに写真やグラフを映し出し、視覚的にも分かりやすく伝える工夫をしているそうだ。豊田さんも、軍事郵便を読む部分と自身の言葉のパートで声色を変えつつも、過剰な演出になりすぎないように試行錯誤を重ねているとのことだった。 一人称で話せる戦争経験者の話には重みがある。ただ上野さんによると、悲惨な戦争の時代を実際に生き抜いた人々の中には、当時のことを思い出そうとするとつらい記憶が突然よみがえってうまく話せない方がいるという。一方で非経験者の語り部は、自らの経験を語れない分、複数の事例を用いて多角的に客観的に捉えることができるのではないかと述べた。戦地へ向かった兵士と家族をつなぐ、戦時下唯一の通信手段だった軍事郵便。家族を思いやる気持ちがひしひしと伝わってくる=昭和館提供非戦の思いを、いつか行動に そんな2人が語り部をやっていて最もやりがいを感じるのは、講話を聴く子どもたちの姿だ。上野さんの講話では、最後に戦災孤児の方が書いた「もしも魔法が使えたら」という詩を読み、「皆さんが魔法を使えたらどうしますか?」と問いかける場面がある。詩に込められた「お父さん、お母さんがいる普通の生活がしたい」という切実な願いに対し、子どもたちが真剣に食い入るように耳を傾け感想を寄せてくれると、ちゃんと伝わっているのだと実感するという。 豊田さんは、自分が語り伝える内容が「100人、1000人の中の誰か1人にでも響いてくれたらうれしい」と語る。上野さんも、講話で訪れたある中学校の校長先生から言われた「子どもたちはいつか花を咲かせますよ」という言葉が心に深く残っている。講話を聴いた人が、すぐに行動することを期待するわけではない。しかし、いつかふとしたタイミングで講話を思い出し、自分も戦争をしないための何か一つの行動につなげてくれたら――。この願いこそが、2人の原動力になっている。6月7日に昭和館で開催された定期講話会で、軍事郵便をテーマに語る豊田さん。定期講話会は、毎月第1日曜日に行われる=東京都千代田区で、東京都立大・小野将京撮影つながるバトン 豊田さんの定期講話会があった6月7日、実際に客席で講話を聴いていた女子高校生(17)の胸にも、2人の思いは届いていた。 ロシアによるウクライナ侵攻のニュースをきっかけに戦争の現状を気にしていたという彼女は講話の後、「今も世界で起こっている戦争と今日聴いたお話は、地続きでつながっていると感じる。私たちのような戦争を体験していない世代が、戦争に興味を持ったりささいなことでも調べたりすることが大切だと思う。今日のお話を友達にも伝えたいと思った」と語ってくれた。 戦争を知らない世代がつなぐ記憶のバトンは、次の世代へと確かに手渡されている。