毎日新聞 2026/7/16 20:30(最終更新 7/16 20:31) 有料記事 1988文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷日本人初のノーベル生理学・医学賞の受賞決定後、講演などのため米国から一時帰国し笑顔で手を振る米マサチューセッツ工科大学の利根川進教授=成田空港で1987年11月23日 ノーベル生理学・医学賞受賞者で米マサチューセッツ工科大(MIT)教授の利根川進さん(86)が11日死去した。「大御所」と呼ばれるのを嫌い、科学界最高の栄誉に輝いた後も新たな研究分野に挑戦。免疫学と脳科学の研究者として最後まで現役を貫いた。若手との研究談議を好み、ユーモアのあるメールを送るチャーミングな一面もあった。40代の若さでノーベル賞 利根川さんは幼少期、紡績会社に勤めていた父親の転勤に伴い、富山県や愛媛県の自然に囲まれた環境で育った。その後、東京都立日比谷高校に進学。同級生の多くが東京大を目指す中で、「自由な学風がある」と京都大理学部を選んだ。 当時、黎明(れいめい)期の学問で、遺伝子など分子レベルで研究する「分子生物学」に興味を持った。先端を走っていた米国で博士号を取得。その後、スイス・バーゼル免疫学研究所でノーベル賞につながる成果を上げた。 病原体などから体を守る免疫機構の抗体の多様性について、その遺伝学的な原理を発見した。現代のように自動で遺伝子の配列を解読する機器はなく、膨大な手作業で解明した。1976年夏に成果を米国の研究所で発表。持ち時間の20分を過ぎても話し続け、発表が終わると大きな拍手がわき起こった。そこから10年あまり、40代の若さで87年にノーベル賞をつかんだ。研究対象を脳科学に しかし「大御所と呼ばれたくない」と、MIT教授に就任後の90年代には、研究対象を脳科学に移した。 MITピカワー学習記憶研究所の研究室に2013年から約5年間、ポスドク(博士研究員)として在籍した東京大定量生命科学研究所の奥山輝大教授(行動神経科学)は「サイエンスにすべてをささげていた人。土日も関係なく論文を書き、熱量は半端なかった」と、利根川さんという「サイエンスお化け」の…この記事は有料記事です。残り1236文字(全文1988文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>