映画の推し事:システムが人を怪物化させる コンビニという恐怖「チルド」

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「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社) 交通渋滞で四方を塞がれた道路の上。故障したエアコンを呪いのように感じながら、一人の男が車を乗り捨て、どこかへ向かって歩き始める。 失業と離婚を経験した一家の父、「フォーリング・ダウン」のビル(マイケル・ダグラス)が最初に爆発する場所は、英語もおぼつかない韓国系アメリカ人店主が営む小さなコンビニエンスストアだった。Advertisement わずか数分に過ぎないこの場面は、1990年代アメリカ社会の亀裂を象徴するイメージとなった。 そして30年以上の時を経た今、ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した「チルド」もまた、私たちをコンビニへと導いていく。空間を満たす空気と秩序 もちろん、両作は似ていない。「フォーリング・ダウン」が社会から取り残された一人の男の怒りを通してアメリカ社会を見つめたとすれば、「チルド」ははるかに静かで、はるかに冷たい。「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社) 映画は最初から観客を驚かせようとはしない。むしろ、ありふれた店内を黙々と映し出す。レジ、陳列棚、蛍光灯、商品、そして繰り返されるあいさつ。 あまりにも見慣れた風景だから、誰も疑おうとはしない。コンビニを舞台にしながらも、実はコンビニそのものにはほとんど関心を示していない。岩崎裕介監督の視線の先にあるのは、その空間を満たす空気と秩序なのである。そこにあったから。誰でも来られるから 岩崎監督は、なぜコンビニなのかという問いに特別な理由を付け加えない。そこにあったから。誰でも来られる場所だから。しかし、その淡々とした答えこそが、本作を理解する最初の鍵となる。 コンビニとは、現代都市を生きる人間であれば誰もが通り過ぎる空間である。誰にでも開かれているが、誰の場所でもない。数え切れない人々がすれ違いながら、お互いの名前を覚えることもなく、相手の人生に興味を抱くこともない。 フランスの人類学者マルク・オジェは、このような空間を「非場所(Non―place)」と呼んだ。空港や高速道路、ショッピングモールのように、機能は充実していても関係性は残らない場所である。「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社) 私たちはそこで必要な役割を果たすだけであり、共同体を経験することはない。会計を済ませ、あいさつを交わしても、その出会いのほとんどはその場で終わる。 現代都市が生み出した最も日常的な匿名の空間。問題はその匿名性が、ある瞬間から、人よりも役割を先に動かし始めることである。人が秩序のために存在したら 本作は、事件よりも言葉を、繰り返し響かせる。 「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「またお越しくださいませ」 一日に何百回も繰り返されるこのあいさつは、本来歓待の言葉である。映画は、その少しずつ異なるバリエーションを提示していく。そうして、最初の日常的な空間を演出していたトーン&ムードが、いつの間にか変化していく。「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社) ここで想起されるのが、ミシェル・フーコーが語った規律の言語である。 規律は大仰な命令によって人を動かすものではない。あまりにも日常的で、もはや誰も疑わなくなった反復を通じて、人の身体と言葉を少しずつならしていく。 それらは社会を維持するために必要不可欠な秩序でもある。しかし、秩序が人のために存在するのではなく、人が秩序のために存在し始めたとしたら、話はまったく変わってくる。「決まりなんで」 いつの間にか、思考より先にマニュアルが動き、判断より先に手続きが動き、感情より先に規則が語り始める。同じ言葉もまた、誰かの心から発せられたというより、システムが人間の口を借りて発しているように聞こえてくる。自分の意思で話していると思っていても、実は誰かがあらかじめ用意した文章を繰り返しているだけ。 映画の中で、コンビニのオーナー(西村まさ彦)の口から発せられ、映画全体へと染み込んでいく一言がある。「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社) 「決まりなんで」 説明というより、判断の終了を告げる言葉である。 商社に勤める筆者の知人はこう話していた。自分が勤める会社の国際競争力をむしばんでいるのは技術ではなく、言葉の習慣なのではないか、と。 「弊社の方針といたしましては……」という一文が繰り出される瞬間、顧客と対話しているのは人間ではなく組織になってしまうのだ、と。そして彼は苦笑しながらこう締めくくった。 「結局は『決まりなんで』なんですよ」実体を失う恐怖 本作はシステムそのものが悪だとは描かない。安易に誰かを断罪することも、都合よくスケープゴートに仕立て上げることもない。主人公の堺(染谷将太)のうつろなまなざしを借りながら、あらゆるものを長く、執拗(しつよう)に見つめ続け、「微細な逆転」を映し出す。「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社) 本作が描き出す恐怖は、そこから始まる。本当の恐怖は、人が少しずつ自分自身の声を、すなわち「実体」を失っていく過程にあるのだ。 カメラは「暴力」ではなく、「暴力」以前の「空気」によって、客席に座る私たち一人一人の神経をじわじわと緊張させていく。血や悲鳴といった安易な手法に頼ることはない。 だからだろうか。ドラマに豊かな厚みを与えるヒロイン、小河(唐田えりか)は、一度も悲鳴を上げない。「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社)怪物に哀れみを覚えてしまう ずいぶん前に瀬々敬久監督が、筆者との会話の中で、「自分にとって最も難しいジャンルはホラーだ」と語ったことがある。「怪物を描かなければならないのに、どうしても感情移入してしまい、最後には哀れみを覚えてしまう」のだという。 「チルド」は、その言葉を思い出させた。 この映画にも“怪物”は描かれる。しかし、観客に怪物を憎むことは求めない。むしろ、私たちが怪物だと思っていた存在も、どこかで自分自身の声を失ってしまった人間ではなかったのかという、不穏な問いを投げかける。「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社) 少しずつ自分自身から遠ざかっていく人間へのまなざしは、残酷というより切なく、冷酷というより痛ましさを帯びている。 かくして本作は、瀬々監督の語った「ホラーの難しさ」を乗り越えている。怪物を描こうとするように思わせながら、最後には人間を見つめているのだ。現実を提示するホラー ホラーというジャンルは、観客を驚かせ、あるいは現実から逃避させてくれるばかりではない。優れたホラー映画は、むしろ現実をあらためて提示する。「チルド」©『チルド』製作委員会(NOTHING NEW・東北新社) そのカタルシスは、怪物を倒すことによってだけ生まれるのではない。言葉にできず漠然と感じていた不安や息苦しさに名前が与えられた瞬間にも訪れる。その時、恐怖は単なる刺激ではなく理解へと変わる。 息苦しくはないだろうか。説明のつかない閉塞(へいそく)感の中で、今日も「決まりですから」という言葉の前に、自分の感情を押し殺してはいないだろうか。本当に恐ろしいのは、怪物ではなく、ある日ふと、自分自身の声を失ってしまう瞬間なのかもしれない。 そのことを改めて思い出させてくれた作品である。迷う理由はない。今週末も映画館へ行こう。(洪相鉉)