エレベーターを使わず20年 「264段」上り続ける母の思い

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ストーリー 木下翔太郎毎日新聞 2026/7/19 13:00(最終更新 7/19 13:00) 有料記事 1993文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷集合住宅内の献花室に飾られた市川大輔さんの遺品=東京都港区で2026年6月3日、幾島健太郎撮影 アジサイをぬらしていた篠(しの)突く雨は、亡き息子が友人たちとの再会を待ちわびていたかのように午後には上がった。台風が日本列島に接近した6月3日。東京都港区の区民施設内に設けられた献花室に、市川正子さん(74)の姿はあった。 野球のグラブ、バット、ユニホーム、写真。献花室には20年前にエレベーター事故で亡くなった長男大輔(ひろすけ)さんの生きた証しが並んでいた。「いっちゃん、今年も会いに来たよ」。大輔さんの友人は1輪の白いユリをそっと供え、遺影に語りかけた。 正子さんはその様子を見つめながら、取材に積年の思いを語り始めた。「二度と同じような事故が起きないよう、20年間立ち止まらず歩き続けてきました」。胸元には、お小遣いをためた大輔さんが、正子さんの誕生日にプレゼントしてくれたという真珠のネックレスが光っていた。全2回の前編です。後編へのリンクは文末に叫ぶことしかできなかった、あの日 夏の足音が聞こえ始めた2006年6月3日のことだった。都立小山台高校(品川区)の野球班(部)員だった大輔さんは、この日も朝6時半に家を出て練習に向かった。2年生ながらレギュラーをつかみ取った夏の都大会は1カ月後に迫っていた。 自宅の時計の針は午後7時20分過ぎを指していた。正子さんはおなかをすかせて帰ってくる大輔さんを待ちながら、好物のシチューを作るために台所でトウモロコシをゆでていた。換気扇の音に交じってかすかに聞こえていた救急車とパトカーのサイレン音は次第に大きくなり、自宅マンションの下で鳴りやんだ。 間もなく、部屋に駆け込んできた警察官に事態を知らされた。現場に駆け付けると、エレベーターに挟まれ折れ曲がったような大輔さんの背中が見えた。 大輔さんが自宅のある12階で自転車と共にエレベーターから降りようとした、その瞬間、扉が開いたままかごが急上昇。大輔さんはかごの床と乗降口の上枠の間に挟まれ、749キロもの重量がのしかかった。 「ひろすけ、ひろすけ」。規制線が張られてそばには近づけず、声がかれるまで叫ぶことしかできなかった。約40分後に救出されたが、搬送先の病院で死亡が確認された。大輔さんの手には、この日の練習後にレギュラーのご褒美として先輩と買いに行った、金色の金属バットが最後まで大切に握られていた。ムードメーカーだった大輔さん 都内の別の高校の野球部員だった私(記者)は翌日、多摩川河川敷のグラウンドで同い年の大輔さんが亡くなったことを知った。小山台高校とは交流があり、事故の2日前にもこのグラ…この記事は有料記事です。残り935文字(全文1993文字)後編につづく 「エブリデイ マイ ラスト」 亡き息子が残した言葉と「宿題」あわせて読みたいAdvertisementこの記事の特集・連載この記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>