戦後の代表的ジャーナリスト・大宅壮一氏 顕彰碑に刻まれた言葉

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毎日新聞 2026/7/16 13:15(最終更新 7/16 13:15) 769文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷大宅壮一さん直筆の言葉が刻まれた顕彰碑=大阪府高槻市富田町で2026年6月29日午前11時20分、中川博史撮影 大宅壮一さん(1900~70年)といえば戦後日本を代表するジャーナリストにして評論家。そんな偉人の出身地がわが地元、大阪府高槻市だとは恥ずかしながら知らなかった。何やらご縁を感じる。おこがましいのは十分承知の上で。【中川博史】 大宅さんは三島郡富田村(現高槻市富田町)に生まれ、少年期を過ごした。旧制茨木中学(現大阪府立茨木高校)に進学し、各種雑誌に短歌や作文を投稿しては懸賞を獲得していたそうで、1922年に東京帝国大学に入学。在学中から健筆を振るった。Advertisement 「口コミ」や「恐妻」など流行語を作り出す名手で、55年には不偏不党を掲げて「無思想人宣言」を発表し、反権威・権力への姿勢を鮮明にした。言論界で活躍するその様子は「マスコミの帝王」と評された。 といったところの大宅さんだが、故郷の富田に足跡や面影をしのばせるものが何もなかった。そこで、地元の有志が「大宅壮一顕彰碑を建てる会」を発足し、2009年5月、生家跡近くに顕彰碑を建立した。200人を超える個人や団体から寄付が集まったそうだ。 同会の発起人の一人で郷土史家の西田喜彦さん(79)によると、大宅さんは世に出てからも時々は富田に帰ってくることがあったが、地元での知名度が今ひとつで、大宅さんのことを知る人もだんだんと減っていたらしい。そんなこともあって「大宅さんの原点が富田にあることを多くの人に伝えたい」と建立した顕彰碑。 阪急富田駅から南に歩くこと約10分。府道脇の一角にたたずむように碑は建っている。高さ1・4メートル、幅2・7メートルの自然石でできていて、そこにはめ込まれた黒御影(みかげ)の石版に、大宅さんの直筆書の中から選ばれた「美しいバラの花は野茨(のいばら)の根の上に咲く」という言葉が刻まれている。 没後50年以上。碑は今も、ありし日の大宅さんをしのばせる。あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>