キャンパる:戦争を学ぶ「最初の一歩」に 紙芝居で語り継ぐ「東京大空襲」

Wait 5 sec.

東京大空襲で焼け落ちた街の様子を紙芝居で表現することの難しさや工夫した点を語る尾辻美枝さん=東京大空襲・戦災資料センターで、古谷彩乃撮影写真一覧 太平洋戦争末期に東京都区部は60回を超す空襲を受け、10万人以上の犠牲者を出した。その悲劇を語り継ぐ「東京大空襲・戦災資料センター」(東京都江東区)で、紙芝居を使って戦争の記憶を子どもたちに伝える活動を続ける職員がいる。尾辻美枝さん(54)だ。センターの来館者の約半数は修学旅行の中高校生。戦争を知らない世代と日々向き合う中で、紙芝居を用いて戦争体験を継承する意義について伺った。【大正大・古谷彩乃(キャンパる編集部)】記憶継承へ「語り部」育成 公益財団法人政治経済研究所が運営する同センターは、2021年度から継承者育成事業をスタートさせ、23年度から本格的に「継承者育成プログラム」を開始した。高齢化する空襲体験者に代わり東京大空襲の記憶や教訓を語り継ぐ、非体験者の世代の担い手を育てる研修事業だ。同プログラムの受講者は、同センターの職員やガイドボランティアから希望者を募った。Advertisement 育成期間は約2年半に及び、その間に全12回の研修が行われた。内容は、アジア・太平洋戦争の講義、体験者への聞き取り調査や現地を歩く実地調査など、多岐にわたる。断片的な知識ではなく、東京大空襲や第二次世界大戦についての全体像を理解した上で語れるようになることを目指す構成だ。現在は7人が語り部として同センターが定期開催する「定例継承講話」や、学校・団体向けプログラムなどで講話を行っている。爆撃の様子を正確に描くため、「B29が落とした焼夷(しょうい)弾の落下時の角度を学芸員と議論した」と話す尾辻さん=東京大空襲・戦災資料センターで、実践女子大学・土屋栞奈撮影写真一覧決意を後押しした「危機感」 尾辻さんもその一人だ。もともと同センターでガイドボランティアとして活動していた尾辻さんに、継承者育成プログラムの話が持ちかけられた。しかし当初、尾辻さんは参加を断っている。「体験者でない自分が語り継ぐのは無理」というためらいが、その理由だった。 心境が変わったのは、空襲体験者から直接電話がかかってきたことがきっかけだった。年々減少する空襲体験者たち。「『自分たちがいなくなれば記憶は途絶える』という切実な思いに触れた瞬間だった」と尾辻さんは語る。迷いは消えなかったものの「自分にできることだけはやろう」という気持ちが芽生え、研修への参加を決めた。 尾辻さんが紙芝居を自身の伝承方法に決めた理由は、「戦争を語る言葉そのものが、子どもたちの日常から遠く離れてしまっている」と危機感を覚えたことだった。尾辻さんは都内小学校のスクールサポートスタッフとしても週に3日勤務している。勤務する小学校で児童に戦時中に広く着用された和服の作業着である「モンペ」を知っているか尋ねると、返ってきたのは「モンスターペアレンツ」という答えだった。東京大空襲・戦災資料センターで、紙芝居「てっちゃんがみたそら」を実演する尾辻美枝さん=本人提供写真一覧抵抗感なく学ぶための手段 同時に「この子たちに、戦争を体験していない自分が戦争について言葉だけで説明したところで、伝わらない」と、尾辻さんは実感した。一方で、わが子に戦争をどう語ればいいか思案する若い親世代は少なくない。教科書的な説明や、見ていてつらくなるような残酷な展示は、戦争を知らない世代にとって最初の一歩から高いハードルになりがちだ。そこで行き着いたのが、親子ともに親しみやすい「紙芝居」だった。 紙芝居はもともと子どもへの娯楽提供手段であり、「勉強させられる」と身構えられにくい。加えて、本や映像とは違い、語り手が聞き手の反応を見ながら間を取ったり、聞き手に問いを投げかけたりできるのも大きな特徴だ。一方通行の説明ではなく、その場でのやり取りの中から「自分だったらどうだろう」という想像力を引き出せることが、紙芝居ならではの強みだと尾辻さんは考える。日常会話には持ち出しにくい重いテーマだからこそ、学びのきっかけを紙芝居に託すことにした。東京大空襲・戦災資料センターで、白石哲三さん(右)から東京大空襲の体験談を聞き取る尾辻美枝さん(左奥)ら=尾辻さん提供写真一覧綿密な対話で「あのとき」の情景を再現 紙芝居の構成は尾辻さんが書き起こした後、同センターの継承者育成チームで検証した。作画はすべて尾辻さん自身が手がけた。制作の土台となるのは、実際の戦争体験者への聞き取りだ。尾辻さんは、都内在住の白石哲三さん(88)の空襲体験を描き起こした。 白石さんは7歳の時、1945年3月10日の東京大空襲を経験し、同センターが編集した証言集「あのとき子どもだった―東京大空襲21人の記録―」に体験記を書いている。尾辻さんはこの本をもとにして白石さんの聞き取りを行うことを決めた。東京・馬込にて、空襲当時逃げた道筋を歩く白石哲三さん(中央)と尾辻美枝さん(右)=尾辻さん提供写真一覧 聞き取りは、一度で終わるものではなかった。実際に当時の空襲で火の海の中を逃げた道筋を、白石さんとともに歩きながら記憶をたどったほか、尾辻さんが描いた下絵の紙芝居を見せて当時の情景と照らし合わせるなど、対話を重ねながら進めていった。聞き取りには、約1年半、数十回の話し合いを要し、紙芝居「てっちゃんがみたそら」は25年に完成した。綿密な確認で期した正確さ 当時、白石さんは台東区の自宅から逃げ、荒川区にあった汚水処分場にたどり着いた。そこで見上げた空は、真っ二つに分かれていたという。自分がいる場所の真上には星空が広がる一方、すぐ真横の空は炎に染まって赤く燃えていた。白石哲三さんと姉の白石晃子さんが汚水処分場に逃げ込んだ場面。星空と、炎で真っ赤な空の対比を鮮明に覚えていると何度も尾辻さんに語った=東京大空襲・戦災資料センターで、古谷彩乃撮影写真一覧 紙芝居づくりで尾辻さんが最も苦心したのが、このような色の表現だったという。昼間の夏の空は真っ青ではなく、少し白みがかっている。トタンの色は茶色でなく赤黒い。当時の父親は現代と比べて若々しくなく、日に焼けてしわの多い顔をしていた。こうした指摘を白石さんから受けるたびに描き直し、色を確認する作業を繰り返す。学術的な正確さを確保することも合わせ、描き直しては塗り直し、その繰り返しだ。 苦心するのは、絵や史実の正確さだけではない。語り方にも、尾辻さんなりの工夫が凝らされている。空襲から逃げるシーンでは、早口で切羽詰まったように、声を張り上げてはっきりと語る。一方、日常の場面では、穏やかな口調に切り替えて語る。また軍人や男性が話す場面では威圧感のある声でと、場面や登場人物によって演じ分けるという。「自分だったら」の想像力こそ大事 戦争体験者が年々減少していく中で、「語り継ぐ」という行為は、世代が下がるごとに体験から遠ざかっていく。「最終的に伝言ゲームになってしまうことが心配」ともこぼす尾辻さんに、それでも継承し続ける意義を問うと、「非戦争体験者の想像力を高めるため」と定義した。紙芝居の主人公「てっちゃん」のモデルになった白石哲三さん(右)が紙芝居の上映に合わせ、当時の体験を語る機会もあった=尾辻美枝さん提供写真一覧 語り継ぐことの本質は、当時の経験を「悲惨だった」の一言で終わらせることではない。「体験者の話を聞いて、自分がその立場に置かれたらどうだろうと思考を巡らせること」だと話す。現在まで、紙芝居を見た子どもたちが、いつか「自分だったら」と想像を巡らせる瞬間こそが、継承の新たな出発点になると信じているからだ。 とはいえ、子どもたちから自然に感想や質問が出てくるとは限らない。そもそも東京大空襲についての予備知識が乏しいことに加え、「どんな質問をしてよいのか分からない」という戸惑いも大きいという。 そうした状況を変えたいと、尾辻さんは今年8月8日、同センターで行われた「てっちゃんがみたそら」の上演で、質疑応答の形式に工夫を加えた。あらかじめ用意した質問カードを子どもたちにくじのように引いてもらい、そこに書かれた問いを読み上げてもらう、という方式だ。 質問内容は「おやつはありましたか?」や白石さんの実家がパン屋であったことから「当時、パン屋さんはあったのですか?」など、質問すること自体への気軽さを大切にした。こうした形式をきっかけに、次第に自主的に手を挙げて質問する子どもも増えたという。 「てっちゃんがみたそら」は尾辻さんの1作目。彼女の挑戦は、まだ始まったばかりだ。「白石さんだけでなく、他の戦争体験者の方々の話も、これから継承していきたい」と、今後も聞き取りを重ねていく意向を語る。一人一人の記憶を丁寧にすくい上げ、形にしていく作業には終わりがない。紙芝居という日本の伝統的な文化が、現代の若者に対して「自分だったらどうだろう」という想像力を引き出せるのか。その可能性を、尾辻さんはこれからも模索し続ける。