インタビュー 森永亨毎日新聞 2026/10/6 13:00(最終更新 10/6 13:00) 有料記事 2143文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷戦争体験を語る毒蝮三太夫さん=東京都内で2026年8月28日、内藤絵美撮影 兵隊に「なりたかったよ」と言う。 今年3月に卒寿を迎えた俳優でタレントの毒蝮三太夫さん(90)。 テレビ史に名を刻む「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の隊員役で知られ、愛を込めて高齢者を「ジジイ」「ババア」と呼ぶ毒舌トークで人気を集めてきた。 その毒蝮さんが、皆の前で語り続けていることがある。少年時代に目の当たりにした戦時下の体験だ。 自分が「軍国少年」だったこと。1945(昭和20)年5月に東京で遭った空襲のこと。徴兵された家族のこと――。今年になって、抑留を経て日本に帰ってきた次兄の日記で、新たな過去を知ったという。その「真実」とは。軍国少年に「ならざるを得ず」 毒蝮さんは36(昭和11)年生まれ。東京都荏原(えばら)区(現・品川区)で育った。太平洋戦争の頃はちょうど、国民学校(現・小学校)に通っていた。 「軍国少年にならざるを得なかったんだよね。学校教育が『鬼畜米英』、(当時流行した歌謡曲の一節の)『いざ来いニミッツ、マッカーサー』みたいに、お国のために体をささげるのが当然という教育だったから」 憧れる対象も、戦地に赴く準備をする兵士だった。 「兵隊さんはかっこいいし、お国のために死んでくると英雄として扱われて、近所でも有名になるわけ」。だから「なりたかった」。それが当時の本心だった。 毒蝮さんには、父親が違う2人の兄がいる。ともに一回り以上も上の年齢で、徴兵された。 まず兵隊に取られたのは、電機メーカーに勤める技術者だった長兄の一義視(かずぎみ)さん。通信兵として入営した。 その後、次兄の芳夫次(よしふじ)さんが召集される。郵便飛行機の操縦士になろうと仙台の航空機乗員養成所で学んでいて、特攻隊員として呼ばれた。 「次兄は飛行家の(チャールズ・)リンドバーグ(02~74年)に憧れていて、兵隊になろうと思ったわけでもない。戦争で大きく人生が変わってしまった」書いてみせた 極小の「丸」 生前の芳夫次さんは、毒蝮さんにも言葉少なではあったが、当時の体験について語ってくれた。…この記事は有料記事です。残り1291文字(全文2143文字)Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。関連記事あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>