映画の推し事:大貴と希と私の“どうしょうもない父親”「平行と垂直」に救われた

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「平行と垂直」Ⓒ2026「平行と垂直」製作委員会 私の父親は、俗に言う“普通”とは違う。私が5歳の頃にどこかへ行って、21歳の頃にふらっと現れた。その日は彼氏と別れた翌々日か何かで、「いや今じゃないんだよな」と思ったことを覚えている。 そんな父から先日、「手術が必要で、入院することになった」と連絡がきた。いつもはいない父親が、こういう時だけ急に一大事を知らせてくる。「勘弁してくれ」と思う。それでも、完全に切り捨てることはできない。Advertisement 小林聖太郎監督の「平行と垂直」を見ながら、私はそんな父親のことを思い出した。それでも子供を愛している 自閉スペクトラム症の兄、大貴(安田章大)と、その兄を幼い頃から支えてきた妹の希(のん)。2人もまた、どうしようもない父親を持つ子供たちだ。 幼い頃に母親を亡くした兄妹は、父親と3人で暮らしてきた。だらしない父親に世話をされているのか、はたまた子供たちが父親の世話をしてやっているのか、そんな家庭だった。 そして、この父親が本当にしょうもない。ただ、厄介なのは、そんな父親も大貴と希のことを愛してはいるということだ。「平行と垂直」Ⓒ2026「平行と垂直」製作委員会 この世には、子供を愛しているけれど、面倒を見ることのできない親というのがいるらしい。 愛していることと、守れること。家族であることと、支えられること。それらは必ずしもイコールではないのだと、この家族を見ていると思わされる。支えると背負うは表裏一体 親に頼ることができない分、大貴と希は互いを守るように生きてきた。 私はひとりっ子なので、そんな2人の関係が少しうらやましくも見えた。今年25歳になり、ぼんやりと今後の人生について考えることも増えた。親が年老いても、その先で自分たちが年老いても、兄妹がいればひとりではない。そんな心強い存在なのかな。 けれど「平行と垂直」を見ていると、誰かと支え合えることと、誰かを背負わなければならないということは、どうやら表裏一体らしい。家族がいることの心強さと、家族がいるからこそ生まれる責任は、簡単には切り離せない。 だからこそ、「平行と垂直」を見ながら、私は考えてしまった。家族とは、どこまで互いの人生を引き受けるものなのだろう。「不幸」としてくくらない小林監督 同じ小林監督の「毎日かあさん」でもまた、家族のどうしようもなさが描かれている。漫画「毎日かあさん」と作者の西原理恵子をモデルに、アルコール依存症に苦しむ夫と、元気すぎる子供たちに振り回される日常を描いた作品だ。「平行と垂直」Ⓒ2026「平行と垂直」製作委員会 「平行と垂直」と同じように、悩みの原因は家族でありながら、支えてくれるのもまた家族である。そんな割り切れないつながりが描かれている。 家族のいざこざを描いた作品は、重く暗いものが多い。確かに現実でも、複雑な家庭環境で育った人は「不遇な人」と見られがちだ。 しかし、小林監督の作品は、時に壮絶でもある家庭環境を描きながらも、湿っぽくならない。どこか軽快で、温かい。そのまなざしには、家族の問題を単なる「不幸」としてくくらない強さがある。「しょうもない」と笑えるように だから私は、小林監督の映画を見ていると、自分の家族のことまで少しおかしく思えてくる。 私が彼氏と別れた翌々日に現れて、人の気も知らず自分の彼女の話をしてくる父親。会うたびに、なんかタトゥーが増えてる父親。手術は結局、ぢの治療だった父親。 「しょうもない父親だな」と、少し笑える。 小林監督の作品に流れている、あのほっこりとしたBGMが頭の中で聞こえてくる瞬間、私は自己憐憫(れんびん)から離れられる。私はこうやって映画に救われているのだ。「平行と垂直」Ⓒ2026「平行と垂直」製作委員会 家族は厄介だ。支えたいと思う一方で、その存在が自分の人生を縛ることもある。大貴と希も、そうやって生きてきた。 けれど、希の婚約をきっかけに、2人の関係は少しずつ変わり始める。それぞれの人生を生きようとしたとき、家族である2人はどんな距離に立てばいいのだろう。 大貴と希が選ぶ「これから」を見ながら、私も変な父親との「これから」を考えてやってもいいかな、と思ったり。思わなかったり。(青山波月)Google検索で「毎日新聞」の記事を優先的に表示できます。【前の記事】こうなってほしい!「ゴジラ-0.0」 1964年と松本城がカギ?関連記事【最新記事】