深掘り図解あり 待鳥航志毎日新聞 2026/8/15 13:00(最終更新 8/15 13:03) 有料記事 4071文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷全国戦没者追悼式で式辞を述べた高市早苗首相=東京都千代田区の日本武道館で2026年8月15日午前11時57分、滝川大貴撮影 「戦争の惨禍を二度と繰り返させない」 「インド太平洋の輝く灯台として、頼りにされる国になれます」 終戦の日の15日、東京・日本武道館で開かれた全国戦没者追悼式で、高市早苗首相が述べた式辞だ。 追悼式はそもそも国を挙げて「戦死」を顕彰する場として始まった経緯がある。 歴代の首相は8月15日に戦争をどう語ったのか。 専門家とともにその変遷を追うと、各首相の戦争観や国民へのメッセージが浮かび上がってきた。 戦後81年がたち、実際の体験者なき時代を迎えようとしています。日本人の戦争観はどう変わるのか。戦後世代は日本の戦争責任にどう向き合うべきか。連載「加害の記憶 戦後81年」を随時掲載します。 関連記事 戦禍「繰り返させない」高市首相、なぜ式辞変更? 戦没者追悼式 高市首相の式辞全文はこちら吉田茂政権下で初開催 高市氏の式辞は「高市カラー」が前面に出る内容となった。 式辞前半は、近年の首相と同様に、戦没者を悼み、その命や苦難の歴史の上に戦後の平和が築かれたことに「敬意と感謝の誠をささげる」と述べるものだ。 しかし後半は過去の式辞にない独特の表現がちりばめられている。 近年の首相式辞は戦争責任を念頭に置いた「反省」の文言があるかどうかが注目されてきたが、高市氏は言及しなかった。 歴代首相の式辞と比較すると、高市氏の式辞はどんなメッセージを持つのか。 まず、追悼式はどのようにして始まったのかを見ていこう。 初開催は、吉田茂政権下の52年5月2日、場所は東京・新宿御苑だった。 サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を回復して間もなくの時期だ。戦没者遺族から国による追悼行事を求める声が上がっていた。 式辞で吉田氏は「戦争のために祖国に殉ぜられた各位は、身をもって尊い平和の礎となった」と述べた。 立教大名誉教授の故・山田昭次氏は2014年に発表した著書「全国戦没者追悼式批判」で、吉田首相は敗戦や占領によって衰退した愛国心の回復を目的としていたと考察している。 「吉田が作ったこのような型の戦死者の顕彰は、その後の首相たちの式辞に繰り返し登場した」 <この後の内容は> ・歴代首相の主な式辞一覧 ・戦後も続いた「戦死」の美化 ・中曽根氏「侵略性」認めた背景 ・式辞には「対中関係」が影響? ・「反省」なき首相式辞の危うさ「戦争への批判」棚上げ 追悼式は岸信介政権下の1959年3月にも、千鳥ケ淵戦没者墓苑の完成に合わせて実施された。 毎年8月15日に行われるようになったのは63年、池田勇人政権以降だ。 63年は日比谷公会堂で実施され、池田氏は式辞で、戦後日本の経済発展の「根底」には「大戦において祖国の栄光を確信し、異境に散った多くのみたまの強き願いがあった」と述べた。 翌6…この記事は有料記事です。残り2924文字(全文4071文字)あわせて読みたいAdvertisementこの記事の筆者すべて見る1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>