毎日新聞 2026/8/15 16:19(最終更新 8/15 16:19) 有料記事 1081文字ポストみんなのポストを見るシェアブックマーク保存メールリンク印刷遺族代表として追悼の辞を述べた後、目元に手をやる金森武士さん=東京都千代田区の日本武道館で2026年8月15日午後0時21分、中川祐一撮影 戦後81年を迎えた15日、全国戦没者追悼式の会場となった日本武道館(東京都千代田区)には全国から遺族らが集まり、戦没者に黙とうをささげた。 「今でも父を思うと、さみしくなる。『お父さん』って、呼んでみたいですよね」。遺族代表として追悼の辞を述べた金森武士さん(84)=岐阜県大垣市=は、写真でしか知らない父を思い、こう語る。 父・伊作さんは1942年2月、生後1週間ほどの金森さんを残してフィリピンに出征した。当初は幹部候補生を教育する部隊に所属していたが、戦況の悪化に伴い前線へ。45年5月、ルソン島で亡くなった。32歳だった。遺骨は家族の元に戻らなかった。手紙に「まもなく帰るかもしれず」 金森さんと母、祖母の3人暮らしとなり、楽な生活ではなかった。太平洋戦争末期の45年7月、金森さんが暮らす大垣市で大規模空襲があった。記憶はおぼろげだが、母におぶわれて逃げる最中に見た「花火のような空」を覚えている。自宅は全焼し、敷地内にバラックを建て暮らした。母が紡績工場で働いて、生活を支えた。 祖母は息子の死を受け入れられないようで、家族でじっくり伊作さんについて語る機会はなかった。母から「(父は)戦争で亡くなった」と聞いたのは小学校高学年ごろだった。中学生だったある夏の帰り道、近所の家族が食卓を囲む様子が見えた。「自分とこに父親はおらんでね。そっちの人はいいな」とうらやましかった。 その後、仏壇の引き出しの中に紙巻きたばこを見つけた。…この記事は有料記事です。残り460文字(全文1081文字)あわせて読みたいAdvertisement1時間24時間SNSスポニチのアクセスランキング1時間24時間1カ月アクセスランキングトップ' + '' + '' + csvData[i][2] + '' + '' + '' + listDate + '' + '' + '' + '' + '' + '' } rankingUl.innerHTML = htmlList;}const elements = document.getElementsByClassName('siderankinglist02-tab-item');let dataValue = '1_hour';Array.from(elements).forEach(element => { element.addEventListener('click', handleTabItemClick);});fetchDataAndShowRanking();//]]>